3・負けられない戦い

​著・シチミ大使

「黄坂南さんを食事に誘おうと思っております」

 呼び出されたと思ったら、とルイは目に見えてげんなりする。

 ダビングは高官机についたまま、真面目腐った面持ちを崩さない。

「僕は本気です」

「……勝手に誘えば」

 踵を返そうとして、その背中に待ったがかかった。

「僕は軍部の、アンヘルへの監視権があります」

「……だから?」

「この成果次第ではアンヘルへの評価を変えてもいい」

 どうにも、人質を取るのが性に合っている男のようだ。ルイは冷たい眼差しのまま返答する。

「そんな事で上が納得するの?」

「上ではありません。僕が納得するかどうかです」

 ダビングのこのような気紛れは別段、今に始まった事ではない。自分に催眠術をかけた時も、軍に誘ったのも大方は気紛れだろう。

 ならば、その気紛れを最大限に利用してやるのも手だ。

「いいけど、条件がある。南の好きな料理を教えるためにはね」

「呑みましょう」

「二つ返事なんだ」

「あなたに血続関係の研究成果はかかっていると言ってもいい。ある程度ならば、何でも」

「そう、じゃあ――」

 

 目に飛び込んできたのは「激辛トカゲ料理店」の看板であった。ダビングはその店構えの前で立ち尽くす。

「ここは……?」

「私と南はアンヘルでは何でも食べたわ。だから、こういうのが食べられないと……南に嫌われちゃうかもね」

 べ、と舌を出す。さすがに軍の高官。このようなゲテモノ食いとは無縁であろう。ダビングはそれこそ逃げ出すものだと思っていたが……。

「いいでしょう。入れば、南さんの好物を教えていただけるのならば」

 案外呆気なく、ダビングは入店する。その後ろ姿に呆然としたのはルイのほうだ。

「ま、待ちなさい。私が指示したもの以外、南は食べないわ」

「では指示をどうぞ」

「注文が決まったら呼んでくださいねー。あ、ギブアップはあそこのバケツにどうぞー」

 店員が立ち去ってから、ルイはメニューと睨み合いをする。何を選べば、ダビングを一発でギブアップさせられるのか。

「こういうお店は初めてですね。テーブルマナーがおありで?」

 どうやら地の利はこちらにある様子。ルイは不敵に微笑んだ。

「そうね。まずは前菜を頼むのが常識よ」

「前菜……、と言いますとここに書かれている……」

「ええ、激辛チリソースのサラダから」

 ダビングが慣れた様子で店員を呼びつける。

「前菜からメインメニューをお願いします」

「いいけれど……お客さん、軍のお偉いさんですよね? ……後悔しても知りませんよー?」

「構いません。それをください」

 傍目には臆するところのないダビングだが、内心は怯えているに違いないはず。ルイは間もなく運ばれてきたサラダから漂う赤い死臭を嗅いでいた。

「……刺激的な香りですね」

「嫌ならやめれば?」

 迷わずルイは口に運ぶ。所詮は軍部でぬくぬくと育ってきた温室のはず。サラダ一食目で音を上げるのは目に見えている。

 しかし、当のダビングはサラダを淀みなく口に含んだ。

 当然、身悶えする。自分でも少し辛さを感じるほどだ。常人ならば口の中に広がる殺人的なマスタードと香辛料の刺激に、即座に膝を折ってもおかしくはない。

 だが、ダビングは耐えた。耐えてみせた。

 フォークを運ぶ手は震えているが、それでも食べるペースは変わらない。

「……無理しなくてもいいのに」

「無理では……ありませんよ」

 脂汗が出ているがそれでもダビングをここで負かせるのには足りないらしい。

 ルイは店員を呼びつけていた。

「トカゲの蒸し焼きだけれど、確か辛さを選べるはずよね?」

「ええ。人が耐えられる限界までありますよー」

「では十辛中の……」

 ダビングを目で窺う。彼は固唾を呑んでこちらを見据えていた。

「七辛で」

 途端、ダビングの顔が青ざめる。絶望の面持ちへとルイは余裕しゃくしゃくの声を発していた。

「無理ならやめとく?」

「……いいえ。やらせていただきましょう」

 自分達をいいように扱っているのだ。せめてここでは遊ばせてもらうとしよう。

「では七辛のラーメンをお持ちしますねー。トカゲの蒸し焼きはメインディッシュでー」

 店員がくるくるご機嫌に回りながら立ち去っていく。

 ルイはダビングへと挑発した。

「こんなので音を上げたら、南は絶対に振り向かないわ」

「……そうでしょうとも。ラーメンだろうと何だろうと食べさせていただきます」

 どうやらある程度は本気らしい。ふんとルイは鼻を鳴らす。

「どこまで耐えられるかしらね……」

 

 ラーメンをすすり上げたダビングは顎から滴った汗を拭おうともしない。元々、うつろ気味の眼差しも、さらにぼんやりとしてきたようだ。

 ルイはこれくらいの辛さは物ともしないつもりであったが、南を賭けた勝負となれば話は別。今は一秒でも早く、ダビングをノックアウトしなければならない。

 相手が七辛を制してきたのならば、次は一段階上に。

 そう考えていた矢先、声がかけられた。喉がしゃがれたのか、切れ切れである。

「……南さんは、本当に、……こんな、食事を?」

「……ええ。私と南は昔からそう」

「そう、ですか……。なら、僕が誘う場所は、今まで味わった事のない場所にしましょう」

 この男、全く懲りていない様子である。その振る舞いがルイを怒らせた。カニバサミの髪留めがパチパチ揺れる。

「……店員さん」

「はいはいー。何でございましょうー?」

「出し惜しみはなしにする。ここからのコース料理は十辛で」

「じゅ、十辛ですか? さすがにそれはお連れが……」

 当然だ。七辛でもう限界を感じている相手に対して、十辛は地獄の有り様だろう。否、地獄のほうがまだ生易しいかもしれない。

 今にも開きかけている暗黒の激辛三昧に、ルイは最後の機会を与えた。

「嫌ならやめれば?」

 ダビングもさすがにそこまで本気ではあるまい。そう感じての言葉であったが、彼は搾り出すように声にする。

「……いいえ。それで結構」

 キッと睨み据えたその面持ちにルイは闘争本能が刺激される。

「……十辛持ってきて。早く!」

 

 メインディッシュまでは残り一品。

 そこまでくれば舌の感覚はほとんどないも同義。辛さで口中が腫れたような感覚だ。焼け爛れたような息が余計に熱をぶり返す。

 それでも――彼はまだ席を立つ様子はない。ギブアップする事も。

 激辛トカゲのソテーの皿がテーブルから離れたその時には、二人とも満身創痍であった。

 ただでさえ、相手を打ち負かす事しか考えていない自分が、どうしてダビングと互角の勝負をしなければならないのか。

 静かな闘争心に火を点けたのがそもそもの間違いか。熱さと辛さで堂々巡りを繰り返し、脳内が蒸し上がったかのように煙が上がる。

 それでも、ダビングは詰襟服のボタン一つでさえも外さない。

「……何でそんなに南が好きなの」

「……教えなければ駄目でしょうか」

「……教えてくれないと納得出来ない」

「好みだからです」

「……嘘」

「本当です」

 お互いに投げる言葉がどんどんとシンプルになってきた。脳細胞を働かせるだけの力が有り余っていないのだ。

「じゃあ南が嫌って言ったら? あんたなんて願い下げだって」

「……それでも僕は南さんが好きなんでしょうね」

「バッカみたい。じゃあ最初からこんなまどろっこしい事せずに、南にアタックすればいいじゃない」

「……ルイさん。男性経験はおありですか?」

 その言葉に咄嗟に思い浮かんだのが両兵で、ルイはただでさえ高熱の頭がぼんと暴発する。

「……知らない」

「それはない、という回答で?」

「……セクハラ」

「失礼。ですが、男と言うのは往々にして勝手なものなのです。好きになった人のためならば何でもしたい、力になりたいというもの。それが男の意地なんです」

「……もっと澄ました嫌な奴だと思ってた」

「印象変わりました?」

「……嫌な奴だけれど、澄ましていない」

「それはどうも」

 しかし、とルイはフォークを握り締める。ここで勝つか負けるかはダビングの熱量とは関係ない。

 こんなところで負けない、負けたくない――。

「……負けられないのよ」

「お待たせしましたー。トカゲの激辛蒸し焼きですー」

 蓋を開けられた途端、赤黒い歪んだ臭気が店内を覆い尽くした。毒の霧と形容してもまだ生ぬるい。これは、悪魔の吐息だ。

 赤い激辛濃霧に覆われ、自分達の顔さえも見えない。

――それでも、ルイはフォークを伸ばした。

戦いは終わっていない。ここで終わるくらいならば最初からダビングに勝負なんて挑んでいないのだ。

相手もそうなのか、靄の中から手が見え隠れした。

一枚の皿の上にあるトカゲの蒸し焼きを交互に頬張る。

辛いなどと言う人間的な感情は既に消え去っていた。ここにあるのは「激痛」と「痺れ」のみ。

味などもちろん、感じるはずもなく飲み込むのがやっとである。

「……南は渡さない」

「……それは意地ですか」

「違う。……あんたなんかに渡すくらいなら、最初から諦めてる」

「……血続としての訓練を」

「違う! 私は南の事が……」

 そこから先を言い澱む。ここで言ってしまえば、吐露してしまえば、少しは楽かもしれない。

 血続としての訓練も、軍部の扱いも。しかし、それでは駄目なのだ。単純に素直になるだけならば、それはもっと昔でいい。

 自分は「今」しか出来ない事に賭けたい。今しかない事に挑みたいのだ。

 青葉に出来た。なら、自分が出来ない道理はない。

「……複雑なご様子ですね。しかし、僕は別段、あなたと南さんを別れさせるつもりはないんですが」

「……あんたに割って入られたら、邪魔」

「気持ちは分からなくもないです。しかし、それはお門違いと言うもの。彼女には彼女の道がある。ルイさん、あなたが自分のいいように振る舞っているのと同じですよ」

「……あんたさえ来なければ」

「アンヘルのため、と言うのも大義名分でしょう。……あなたは結局……」

 そこで不意に言葉が途切れた。まさか、あまりの辛さに失神したのか。

 赤い靄を引き裂いてルイはダビングを窺い見る。

「……死んだ?」

「……死んで……いま、せんよ。それと、この一食はいただきます」

 トカゲの蒸し焼き、その最後の一切れをダビングは思い切り口の中へと放り込んでいた。

 

 生き返る気分である。

 水を五リットルほど飲んでからだろうか。ダビングが口火を切った。

「……ルイさん。こういうのはハッキリしておいたほうが追々、いいと思います」

「……聞きたくない」

「僕は南さんに幸せになっていただきたい」

「それは押しつけでしょ」

「……かもしれませんね。でも、幸せになっていただく、そのためのお手伝いを少しずつさせていただくのは如何でしょう? 僕のような人間でも、出来るはずです」

 幸せになる手伝い。自分達で幸福は掴み取るものだとばかり思っていた。それが回収部隊『ヘブンズ』の矜持だとも。

 あのたった二人の回収部隊、たった二人の思い出、たった二人の数年間――だが、たった二人で充分だった。

 二人でいれば何も怖くはなかったのに。

 甘えていたのは自分のほうなのかもしれない。二人でいられれば、いつまでもこのままなら、たとえ軍に入ってもどうにかなるのだと思いたかった。だがそれは希望的観測だ。

 この先どうなるのかなんて誰にも分からない。分からないからこそ、不確定要素に賭けたい。

「……だったら、教える。南の好きな料理は――」

 

「南さん。車をご用意しました。デートしましょう」

 突然にダビングがそのような事を言って来るものだから、南は呆気に取られていた。

「デート? 私と? 何で?」

「何でもです。では、座席へ」

 運転手に目的のレストランへと伝える。ダビングの中でデートプランはばっちり仕上がっていた。

「あっ、私寄りたいところあるから、ご飯ならそっちね」

「寄りたいところ、ですか。いいでしょう。場所は?」

 

 目に飛び込んできたのは「激辛トカゲ料理店」の看板であった。ダビングはその店構えの前で立ち尽くす。

「ここは……?」

「辛いの好きだからさー。ここ見つけてラッキーって感じ! じゃあ、食事、ここで済ましちゃおっか」

「……勘弁を」

 ダビングはさすがにここでは膝を折るしかなかった。

赤黒い歪んだ臭気が店内を覆い尽くした    。毒の霧と形容してもまだ生ぬるい。これは、悪魔の吐息だ

​著・シチミ大使

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