​50 モリビトの軌跡

​著・シチミ大使

 ジャングルを突き進んだ代償は大きい。

 毎回土くれまみれになる《モリビト2号》の装備点検と、そして洗浄は整備班の日課になっていた。

 湿地帯に突っ込むことも多い人機には錆びも大敵だ。全身隈なくチェックする川本へと、青葉は歩み寄っていた。

「あの……何かお手伝いできることでも……」

「ああ、青葉さん? うーん、手伝いって言っても、これもぼくたちの仕事の内だし、あんまり操主に負担かけると親方に怒られちゃうんだよね……」

「操主は普段の人機操縦だけに意識を割けばいいって考え方なんですよ。ま、古めかしいと言えばそうなんですが」

 笑いかけたグレンに青葉は、でも、とまごつく。

「その……これは個人的な興味もあって……。こんなこと言うと怒られそうですけれど、ロボットを洗浄するの、夢だったんですっ!」

 ふん、と鼻息を荒くする青葉に川本たちは愛想笑いを返していた。

「そっか……。いや、ぼくらにはない視点だな、って感心しちゃったよ。日本じゃ、今はどんなロボットが流行っているのかな? ぼくらの頃って言えば……色々あったけれどね。ビーム出したり」

「額から太陽光線出したりですか?」

「あっ、それ知ってる……」

 タイトルを言い当てると、わっと場が和んだ。日本では男友達はいなかったが、こうして共通の趣味と嗜好のある人々の間だと、自分のちょっとしたロボットオタクなんて、大したことのない特徴に思えてしまう。

 彼らは間違いなく、本物のロボットを整備し、そして戦域へと赴く背中を見送っているのだ。

 憧れ続けたロボットに携わる仕事に青葉が興奮気味にスペックを語るのを、通りかかったルイと南が目に留める。

「おっ、青葉じゃん。どったの? 楽しそうだけれど」

「あっ、南さん! 私もモリビトの洗浄をしたくってその……ちょっとわがままを」

「人機の洗浄? 整備の人たちに任せりゃいいんじゃないの?」

「それが……夢だったんですよ! ロボットの洗浄をするのが!」

 同じ調子で語るとルイがぼそりと呟く。

「……ロボットオタク」

 うっ、と言葉を詰まらせる青葉に南が振り返って諌める。

「こら! ……ったく、どこで習うんだか、こういう心ない言葉を。ゴメンね、青葉。ルイもそこまで悪気があるわけじゃないと思うんだけれど」

「……モリビトの操主権、諦めたわけじゃないから」

「なっ――私だって、モリビトの操主だもん!」

 言い争いに発展しかけて宿舎の窓より怒声が発せられる。

「うっせぇーぞ! 何ギャーギャー言ってんだ! ……ったく、人機の整備音だけでも耳障りだってのに……」

「あっ、両兵! モリビトを洗いたいの!」

 その言葉に両兵は胡乱そうにする。

「……ンなの、ヒンシたちに任せとけ。素人なんざ、どこ弄るか分からねぇからな。下手にモリビトを壊して責任取れるのかよ」

「それは……」

 口ごもった青葉に南と川本が味方する。

「ちょっと、両! そういう言い方ってないんじゃないの! 降りてらっしゃい! 鉄拳制裁してやるわ!」

「そうだよ、両兵。青葉さんは厚意で言ってくれているのに、そんな言い種は……!」

「へっ、なぁーにが、厚意で、だよ。ロボットオタクの戯れ言だろうが」

 両兵の理解のない論調に青葉はぷいと視線を背けていた。

「両兵なんて知らないっ! モリビトをピカピカにするんだからっ!」

「……ちょっと下操主でやれるようになったからっていい気になりやがるんじゃねぇっての」

 お互いに言葉を振って整備班のほうへと青葉は入っていく。

「あの……ご迷惑にならない程度でいいので」

「いや、大歓迎だよ。ねぇ、グレン」

「ええ。湿地帯に突っ込んだ人機を洗うのには我々も手間取っているところですので。手があれば欲しいくらいですよ」

 青葉は、では早速、と取り掛かりかけて南に、ちょっとと肩を突かれる。

「その格好で洗ったら汚れちゃう。汚れてもいい服装になったほうがいいわよ」

「あっ、そっか……。でも、汚れてもいい服装って……?」

「いいのがあるわ。ちょっと待ってて」

 駆けていく南の背中にルイがぽつりと言いやる。

「……どうせロクなもんじゃなんでしょ」

「聞こえてるわよー! ルイ! ……これなら、最適じゃない?」

 差し出されたのはスクール水着であった。確かに水着ならば濡れても問題はないだろう。

「あっ、スクール水着……。これ、南さんの?」

「うん、私の。サイズ、合わないかしら?」

「合わないんなら上から体操服を着ればいいじゃない」

 ルイの言葉に、南は、それだっ、と指差す。

「体操服を着ればいいのよ。そうすれば万事解決!」

「……確か今日の勉強会で着た体操服が……」

 青葉は宿舎の洗濯かごのほうへと走っていく。自ずと胸が躍っていた。

 ――夢にまで見た、ロボットの洗浄! まさしく、パイロットのロマン!

 ふふっ、と青葉はいつになく微笑んでいた。

 

「……何かさ。格納庫を造ったはいいものの……」

 濁したエルニィが仰ぎ見ているのは《モリビト2号》を含む、アンヘルの機体であった。赤緒は同じように手でひさしを作って振り仰ぐ。

「何か問題でもありました?」

「……いや、これは仕方ないんだけれど。日に日に汚れていくのはどこか忍びないよね……って話」

 確かに《モリビト2号》も、他の人機も新品同然の光沢を放っているわけではない。泥に塗れ、土くれがノズルに溜まっているのが観察してみればよく分かる。

「じゃあ、洗車しますか? あっ、ロボットだから、洗浄……?」

 疑問符を挟んだ赤緒にエルニィは大きく頷いていた。

「だよねー。人機とは言え、やっぱり精密部品だからさ。洗って磨いてやらないと、もしもの時に性能を引き出せないかもしれないし……」

 メカニックとしての懸念事項なのだろう。エルニィ一人に任せるのも奇妙な話だと、赤緒は買って出ていた。

「あのっ……アンヘルメンバー全員で、洗浄しましょうよ! そうすれば、人機たちもきっと、ピッカピカに……!」

「いいけれど……乗り気な人間っているのかなぁ……。結構、人機の洗浄って手間だし、それに、汚れちゃうよ?」

「あっ、巫女服じゃ駄目ですよね……」

「じゃあ、体操着でいいんじゃないの?」

 ぽり、とせんべいを頬張りつつ南が軒先から顔を出す。赤緒は思索を浮かべてから、応じていた。

「体操着なら……そうですね、確かにちょうどいいかも」

「えーっ、もう水着でよくない? どうせ濡れちゃうんだし」

「……け、境内で水着姿はさすがにまずいんじゃ……」

「えっ? 何で? 罰当たりとかそういうの? 柊神社の神様は、女の子の水着姿に一家言でもあるの?」

「そ、それはないと思いますけれど……。いいのかなぁ……」

「……確かに、随分と汚れちまったなぁ、こいつら」

 屋根の上で将棋を打っていた両兵がぬっとこちらに視線をやる。まさか、両兵の目があったとは思っていない二人は仰天していた。

「おっ、小河原さん? ……よかった……慌てて水着にならないで……」

「ねぇ、両兵ー。そろそろ洗ってあげないと、いざって時にずたぼろじゃカッコ悪いよ」

「まぁな。あっちじゃ、整備班が居たんだが、それもいねぇし……。自衛隊に任せりゃどうだ? 連中、ずっと柊神社張ってんだろ?」

 あまり普段は気にしないが、そういえば自衛隊員の眼もあったのだ。迂闊であった、と思った赤緒を他所にエルニィは手を叩いていた。

「あっ、そっか。じゃあみんなで洗えばちょうどいいよね」

「た、立花さん……。さすがに自衛隊の方々の前で、水着はちょっと……」

「うぅーん、妥協点がないのかなぁ……」

「肌を晒したくねぇんなら、水着の上に体操服でも着りゃいいンじゃねぇの? 汚れてもいい服だし、それに二つ合わせりゃ、一石二鳥って……。ああ、そういや……」

 どこか遠くに視線を投げた両兵に対して、対面しているヤオが問いかける。

「何か思い出したかの? ほい、王手」

「あっ! ジジィ、てめぇ……。ま、南米でも似たようなことがあったなって思い出してよ。そん時も水着の上に体操服だったなって……」

「南米ってことは……モリビトがかつて戦っていた場所なんですよね?」

 両兵はわざとなのか、その辺りの話題は滅多に振って来ない。何か思うところはあるのが窺えるのだが、赤緒にそれを立ち入るような術もなかった。

「……ああ。南米の頃は、モリビトも結構、ずたぼろになって帰ってくることも多かったんだ。古代人機相手に、善戦って言や聞こえはいいが、結局は消耗戦さ。そんな風だから、しょちゅう整備班と顔突き合わせて、ンで喧嘩してたなってよ」

「あんたの人機の乗り方が雑なのよ、両。血の気多かったもんねー、あの頃は。今もそこんところは変わんなさそうだけれど」

 軒先から身を乗り出して指摘した南に、両兵はへっと声にする。

「昔のことだろ。ま、その点都市部ってのはいいよな。高温湿地のあのジャングルに分け入って、下手打つこともねぇんだから」

《モリビト2号》も両兵も、平時は窺わせることもないが、現状キョムとの激戦が繰り広げられていると言う南米で生き延びたのだ。その実力は伊達ではないはず。

 ならば、それを労うのもまた――。

「……立花さん。やりましょう。《モリビト2号》をピッカピカにしましょう……!」

「おっ、やる気出たね、赤緒。じゃ、とっととやっちゃおっか!」

 赤緒は体操着と水着を取りに赴く途中、そういえば、と南がこぼしたのを耳にしていた。

「……《モリビト2号》をこうやって改まって洗ってあげたってのは……あの時もそうだったわね、両。青葉が、言い出して……」

「……ンなこともあったな」

 何度も聞くが、結局いつもはぐらかされてしまう存在、かつての《モリビト2号》の操主――「青葉」。

 改まって聞くことでもないとは思っていたし、それに踏み入っていい領域とそうでない領域が人間にはあるのは分かっているつもりだ。

 だが、モリビトのあたたかな眼差しに救われる度に思う。

 この眼差しを育んだ人はきっと、とても優しく、そして強かったに違いない、と。

 誰にも負けない強さと優しさ。そして人機をただの破壊兵器にさせないだけの、心の芯を持っている人物なのは、今の《モリビト2号》がこうして日本で戦っている事実だけでも明らかだ。

 きっと、モリビトもそう思っているはずであろう。

 それなのに、今は自分の人機。そんな現状に甘んじていていいのだろうかと考える時もある。

 もっと自分よりも相応しい乗り手がいるのではないか。そして、モリビトはその乗り手を、永劫待ち続けているのではないかと。

「……こんなところで、モリビトは……満足なのかな」

 ついついこぼしてしまったのは、弱音と言うよりも疑念。もっと人機の心が分かればいいのに。

 赤緒は自分の掌に視線を落とす。

 触れれば人機を無条件に停止させる能力、「ビートブレイク」。

 そんなものではなく、もっとあたたかで確かな……絆の象徴のような力があればよかったのに。

 赤緒は拳をぎゅっと握り締めていた。

「……私にもっと、力があれば……」

 

 ぎゅっと力いっぱいに拳を握り、青葉は《モリビト2号》を仰ぎ見る。

 緑色のアイサイトに、紺碧の装甲。あの日出会った時と同じ双眸を、この人機は湛えている。初めて会った時、何故恐れなかったのだろう。

 いくらロボットが好きで、憧れていたとは言え、得体のしれないものの隙間に入り込むまで、そう思わせたものは何だったのだろう。

 手繰りかけて、青葉はやはり、分かるはずもない、と肩を落とすのであった。

「どうしたの? 青葉」

「いえ……何だか答えのない問答で――南さん?」

「うん? どったの、狐につままれたみたいな顔して。キツネなんて見たことないけれど」

「いえ、その……」

 青葉が震える指先で指差す。南は平時とはまるで異なる水着姿に身を包んでいた。

 際どくはないが、健康的な――競泳水着だ。

「……どこで手に入れるんです?」

「えー、青葉だって自分の部屋をプラモ部屋にしたでしょ? あれと同じ。定期的に頼んでてね。私、これでも服はたくさん持っているのよ。ねー、ルイ」

 ルイは格納庫の隅に身を隠している。その首根っこを南が引っ張っていた。

「なぁーに、恥ずかしがってんのよ! 照れ屋さんっ!」

 南に引っ掴まれた形のルイは紫とピンクのセパレート水着姿だ。つんと澄ましたルイの頬は少し紅潮している。

「……見せびらかすものじゃない」

「だからって、披露しないといつまでも埃被ってもったいないでしょ? ホラ、前に出る!」

 背中を押されたルイが眼前でたたらを踏む。あ、と視線を合わせた青葉は感想を口にしていた。

「……よく似合ってる」

「……何それ。オヤジくさい」

 ルイは青葉のスクール水着を体操服の下に着込んでいる様子に、冷笑を浴びせた。

「……マニア向けの格好してるわね」

「ま、マニア向け……?」

「私、よく分からないけれど、そういうのを喜ぶ層がいるんでしょ。知ってる」

「こらぁ、ルイ! あんた、暴言吐かないの! ったく、ゴメンね、青葉。多分、そこまで深い意味はないから」

「た、多分……」

 ガガーン、と衝撃を受けた青葉は自分の格好を顧みていた。

 ブルマは結局濡れると重くなってずり落ちてしまいかねないので、スクール水着を着て、上半身のことは気にかけて体操着を着込んだのだが、そんなに変だったのだろうか。

「あの……変ですかね?」

「いやぁ、似合ってる! 似合ってるよ!」

 うっ、と青葉は気圧される。整備班の中でもゴリラと呼ばれている相手の反応だけだとどうにも胡散臭いものがないわけではない。

「……あーあ、何でオレまで駆り出されンだよ。納得いかねぇ……」

「いいだろ。どうせ上で腐ってるんだから」

 川本に引き出されて来た両兵に、青葉は少しだけどぎまぎしつつ尋ねていた。

「その……変、かな?」

「うん? ……さぁ、知らね。ガキの裸なんて興味ねーよ」

 耳をほじくってふっと吹き付けた両兵の態度に青葉はカチンと来ていた。

「……ふんだ。両兵なんて知らないっ!」

「……何怒ってんだ? 分かんねー奴だな、おい」

「両には見る眼がないって話よ。さぁ! モリビトを洗おっか!」

 ホースとデッキブラシを手にした南に両兵はげんなりしていた。

「……見たくもねー水着見せんじゃねぇよ、黄坂。それにデッキブラシとホースったって、てめぇのナナツーを先に洗ったらどうだ? あれ、ひでぇ扱いだってみんな言ってんぜ? 人機遣いが成ってないってよ」

「えー、そんなこと言う人いないわよねー」

 整備班が沈黙する。南はこほんと咳払いし、再三尋ねていた。

「い・な・い、わよね?」

 整備班が全員、慌ててコクコク頷くのが青葉にはちょっとだけ可笑しい。

「じゃあモリビトを洗いましょ! ホラ、青葉。脚部のところ、ファントムの過負荷で血が漏れ出てるわよ」

「あ、本当だ……。ゴメンね、モリビト。痛かったよね……?」

 ファントムの練習に励んでいるせいで脚部バーニアを中心として血塊炉から燃料が漏れ出ているのだ。普段ならば気にも留めないが、徹底的に洗うのならば気にするべきだろう。

「痛いも何も、人機が何か言うかよ」

 ケッと毒づく両兵に、これだから、と南は肩を竦めた。

「あんたは粗暴だってのよ。ルイ、こりゃデッキブラシだけじゃ駄目だわ。器具を取ってきて……ルイ?」

 きょろきょろと南が見渡す。ルイは、またしても設備の陰に隠れていた。

「何やってんよ、この子は! もうっ、そのボケはさっきやったでしょ!」

 気のせいだろうか。無理やり引っ張り出されたルイはいつものクールな表情ではなく、どこかきょどきょどと落ち着きがない。その窺う視線の先にいた両兵と目が合う。

 ぽっと赤面するルイに、両兵は鼻をほじくっていた。

「……あン? 黄坂のマセガキなんて青葉とどっこいどっこい――」

 その言葉に青葉とルイ両方が手に取るデッキブラシが両兵の顔面へと矢のように突き刺さる。

「馬鹿っ! 両兵ってば最低!」

「……青葉と同じなんて」

「……何でこんな目に遭うんだ……? やっぱオレ、部屋に戻りたいんだが……」

「ここまで来たんだから文句言わない。それに、男手が要るのは違いないんだからさ」

 川本が諭すと、両兵はへいへいと、やる気がないながらにタオルで鉢巻を作る。

「いいか! てめぇら、《モリビト2号》のへの字も知らねぇ、ひよっこ操主二人だ。下手なところ触って壊したんじゃ、元も子もねぇんだぞ」

「……両兵だって同じじゃん」

「オレはそんな間抜けはしねぇよ。ヒンシ、上半身やっから、脚立貸せ。女共は下やってろ」

「はいはい……。あ、ゴメン、両兵に賛同するつもりじゃないけれど、でも……」

「……分かってるわよ。一応は現太さんの認めたモリビトの上操主だもの、従うわ」

「ふざけたカッコしてる連中にぁ、下が充分だ、充分」

「……やっぱ、とっちめる……!」

「南さん! どうどう!」

 青葉が慌てて南を諌める。荒い息をついた南は、はぁとため息を漏らしていた。

「……ま、両の言うこともあながち間違いじゃないからね。二人とも、怪我だけはしないように」

 はぁーい、と二人して返事をする。青葉は自分の動かしている脚部、と周囲からモリビトの脚線美を視界に収めていた。

「……何やってんの。馬鹿みたい」

「えっ! ルイはナナツーの脚部を改めて見たりはしないの? ……もったいないなぁ。こんなに綺麗なのに」

「……つける薬のない、ロボットオタク」

 うっ、とダメージを受けている間にも両兵の指示の声が飛ぶ。

「洗剤渡せ、洗剤! 強ぇ奴! ……思ったよか上半身も汚れてやがんな。へっ……手間ぁ、かけさせてくれるじゃねぇの」

 いつになく声を弾ませた両兵の姿勢に南がぼそっと囁きかける。

「……あれで両もモリビトが好きなのよ。だから、操主やってるの。青葉、あんたと同じよ」

「両兵も……別に人機が嫌いなわけじゃ、ないんだ」

「そうよ。私たちだって。ナナツーを誇りに思ってるわ」

 ルイへと視線を配ると、彼女はぷいと目を逸らす。

 それでも、ここにいる全員、人機が好きなのには変わりない。

 よしっ、と青葉は深呼吸の後にデッキブラシを握り締めていた。

 

「デッキブラシなんて……あんまり使わないなぁ」

「えっ、赤緒ってば巫女さんなのに掃除用具使わないの?」

 手にしたデッキブラシを眺めて口走った言葉に、しまった、と赤緒が口元に手をやったのも一瞬、他の者たちに囃し立てられる。

「どうせ力仕事は五郎さん任せなんだろ」

 両兵が脚立に乗り、屈んだ《モリビト2号》の上半身を凝視する。

「思ったよか、やっぱ汚れてんなー。立花! 人機用の洗剤あるだろ。その強ぇ奴持って来い! できるだけ強いほうが手っ取り早いからな!」

「はぁーい。……でも両兵も慣れてるねー」

「一度や二度じゃねぇからな。操主なら、こいつを磨くことくれぇは」

 その弁で言えば、モリビトを磨いたことすらない自分は、と顧みていた赤緒は、隣に立った南の言葉を聞いていた。

「……何だか思い出しちゃうわね。こうやって……南米でも……。あの子とモリビトを洗ったもんだっけ」

「その……っ、南さん。あの子ってのは……青葉さん……ですよね?」

「そっ、青葉。……両の奴、変なことでも言ってた?」

「いえ、その……っ。私、その人からモリビトを託されているんですよね、結果的でも。……いいんでしょうか。私なんかがモリビトの操主で」

 疑問に対して南はあっけらかんと笑い、赤緒の背中を豪快に叩く。

「なぁーに言っちゃってんの! 赤緒さんが守ってきたものが、ここにはたくさん、あるじゃない!」

「私の守ってきた、もの……」

 自衛隊員も洗浄に加わり、両兵の補助をしている。それを《ナナツーマイルド》と《ナナツーライト》がモリビトの姿勢制御をして洗わせている格好だ。

 思わぬ姿に笑みがこぼれてしまう。

 まるで――親に無理やり身体を洗い流されている子供みたいに。

 その時、ふと、赤緒の脳裏にフラッシュバックしたのは、どうしてだか誰かの小さな背中を洗った記憶であった。

 そんなもの、あるはずがないのに。いつも夢見る子供たちの記憶と同じ鮮明さに、瞳から涙が零れ落ちる。

「赤緒さん……? どうしちゃったの?」

「あれ……何で……?」

 伝い落ちた涙の粒に自分でも当惑する。

「気分でも悪い? 強い洗剤使ってるから……」

 軒先へと誘われ、座り込んだ赤緒は顔を拭っていた。

「……いえ。多分これは……そういうんじゃなしに……」

「……確かに不思議な縁だわ。モリビトってね、どうしてだか人の感情を揺さぶるの。あの時も……そうだったかな」

 ふと語り始めた南の瞳には遠い日を想う光が宿っていた。

 

「終わったー!」

 全員が泥だらけの泡だらけになりながら、諸手を上げる。

 互いの顔についた汚れが酷くって整備班の中でも笑い声が上がった。

「あっ、ルイ。汚れついちゃってるよ」

「……青葉も」

「えっ……? どこ?」

「――ったく、てめぇらも分かんねーことに夢中になるな。髪の毛についてる。ちょっと動くな」

 両兵が一つ結びにした自分の髪に触れ、泥を叩き落とす。そのあまりの乱暴さに振り返ってデッキブラシで威嚇する。

「もうっ! 何でそんなに乱暴なの!」

「こっちゃ、善意でやったんじゃねぇか。デッキブラシ下ろせって」

「……もう、両兵は。でもみんな、お疲れ様。これでモリビトも満足だと思う」

 川本の言葉に応じるように斜陽が差し込み、モリビトの横顔を染め上げる。

 どうしてか分からない。だが、それでもこの時のモリビトは満足して、威風堂々としているように映った。

 その横顔を見ているだけで不思議な気分になってくる。

 誇らしいような、どこか物悲しいような――。

 この人機が次の戦いでまた、輝くのだと思うと胸が高鳴る。

「……ねぇ、両兵。モリビトって、男の子かな」

「あン? 妙なこと聞くんじゃねぇよ。そりゃ、こんだけパワーもありゃ、男じゃねぇの」

「だったらさ。私たち、モリビトのお母さんみたいじゃない? お母さんってきっと……こうやって、嫌がっている男の子の背中もきっと……流すんだろうと思うの」

 自分は母親に――静花にそんなことをしてもらった記憶はない。だがきっと、誰もが通る道なのだ。

 両兵は、ふぅん、と聞き流しつつ応じていた。

「……そういや、マジにチビだった頃にはあったか。母親に無理やり風呂に入らされたことは。オヤジとはあんまし入ったことねぇんだよな。不思議と一人で入るように……」

「へぇ、両にもあったのね。可愛かった頃は」

 割って入ってきた南に二人して仰天する。

「うぉっ! ンだよ、黄坂。今のでオレの弱み握ったとか思ってんじゃねぇだろうな」

「いいえ……それもきっと、確かな思い出でしょ」

「思い出ねぇ……」

 青葉は夕刻に染まっていく格納庫で、膝をつく《モリビト2号》を仰ぎ見ていた。自ずと笑みがこぼれてくる。

「だったら、これも思い出になってくれるのかな。モリビトがどこか……遠くに行ってしまっても」

「遠くにって、あり得ねぇだろ。古代人機が現れ続けるんだ。その度に出撃さ」

「でも、もし……人機が飛行機や車みたいに……当たり前になったらさ。きっとモリビトも旅立つんだよ。どこか、遠くに……」

 それがいつなのかは分からない。だがその時にきっと、胸を張って送り出せるように――少しでも思い出は、多いほうがいいはずだ。

 そのほうがきっと、モリビトも寂しくない。

 それが人機を愛する、たった一つの願いだった。

 

「できたー! あーっ、疲れたー!」

 モリビトを洗い終わった頃には黄昏が柊神社を染め上げていた。全員がひとまず、と言った様子で息をつく。

「ま、モリビトだけでも終わって御の字だろ」

「南ーっ、ボクもう無理ーっ!」

 居間にごろんと寝転がったエルニィに南が笑いかける。

「人機研究の権威でしょ、あんたは」

「だって、普段は完全自動化で丸洗いだもん。マニュアルなんて時代じゃないよ」

 むくれたエルニィに五郎がさっと飲み物を差し出す。

「皆さん、飲み物を用意しました。今日はここまでにしましょう」

 五郎の言葉に全員が甘える形でグラスを飲み欲し、光沢を放つモリビトを視野に入れる。

 だが赤緒だけは、少しだけ押し黙っていた。

 南から聞かされた、青葉の望んだモリビトの在り方。車や飛行機のように、いずれ世のため人のために、国の垣根を越えて――。

 それは、今はまだ果たされていないのかもしれない。

 それでも、望み続ければ、願い続ければきっと届く。きっと、振り返ってくれない明日ではないはずだ。

 名前しか知らない、異国で戦い続ける少女。

 それでも繋がっている。モリビトという、一つの絆で。

「……南さん。私、青葉さんに会ったら、言いたいです。モリビトは多分、そんなに遠くない未来にきっと、あなたの望んだ通りになれると思いますって」

 南は夕映え空を眺めつつ、首肯していた。

「そうね。きっと、叶うといいわね。赤緒さんと青葉がどのような形であっても……幸福に出会えるその日にはもう、人機は争いの道具じゃないって」

 その日のために、自分は戦う。

 ――それがモリビトを受け継いだ、操主の務めのはずだ。

 赤緒は一つ頷き、呟いていた。

「その日には私も、一人前の操主に……」

 成らなければならない。それもまたモリビトの繋ぐ約束の一つであった。

ぽり、とせんべいを頬張りつつ南が軒先から顔を出す。赤緒は思索を浮かべてから、応じていた。

​著・シチミ大使

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