​48 アンヘルとにゃんこ

​著・シチミ大使

 軒先で何やら奇声が聞こえてきて、赤緒は目線を振り向けていた。

「立花さん? どうしたんです?」

「あっ、赤緒ー。これ! にゃんこ!」

 胴を掴んで差し出されたのは黒い耳の猫であった。野良猫であろうか。そこいらに生傷があり、目つきはいやに鋭い。

 目の下には特徴的な模様があった。

「……野良猫?」

「うん。この子、野良みたいなんだけれど、ボクに懐いちゃってさ。柊神社の軒先で日向ぼっこしていたところを発見したから、ちょっとお腹撫でてたらはまっちゃって。赤緒も撫でる?」

「えっ……でも野良猫だったら、変な癖を覚えると大変ですよ。人間に餌をもらうことを下手に覚えちゃうと、柊神社に居ついちゃいます」

 一応は神社の巫女としての判断であったが、本心では猫を撫でたかった。

 エルニィは猫と共にこちらを見やって目を潤ませる。

「ひどいっ! 赤緒……そんな風に猫のことを考えるなんて……」

「……わざとらしく言ったって駄目ですよ。五郎さんだってそういうのは……駄目だって言われたんですから」

「あっ、赤緒経験あるんだ?」

 痛いところを突かれ、赤緒はうっと声を詰まらせる。

「……昔、野良だから可哀想だと思って拾ってきた子がいたんです。でも、五郎さんは人間のそういういい加減な優しさで、彼らに干渉すべきじゃないって……言われちゃって……」

 しゅんとする赤緒にエルニィは肩を組む。

「分かる。分かるよぉ、赤緒。確かに、体裁としては猫の溜まり場になったら困るもんね。でもさー、ボクらだって根無し草みたいなもんじゃん。ここで厄介になってるんだから大目に見てよ」

「……だ、駄目ですっ! ちょっとぐらついちゃったけれど、駄目なものは駄目――!」

 その声音にエルニィは目に見えて悪態をついて舌打ちする。

「赤緒ならちょろいと思ったのに……。にゃんこー、君もそう思うよね?」

 にゃあん、と鳴く猫に意思を覆されそうになるが、赤緒はぐっと堪えていた。

「……そもそも、立花さん。動物を飼うって言う自覚はあるんですか? それがないんなら、逃がしたほうがいいですよ」

「冷たいお姉ちゃんだねー、にゃんこ。ほれほれー、ボクの膝はあったかいぞぉー」

 猫がエルニィの膝枕の上で横になる。その柔らかさ、ふわふわ加減に赤緒は、ああっ、と声にしていた。

「ず、ずるい……」

「ずるい? 赤緒、反対派なんだよね?」

 うぅ、と呻きつつ赤緒は猫を仔細に観察する。

「……でもその猫、どこかで見たような気が……」

「猫のお仲間でもいた?」

 猫じゃらしを振るって猫をあやすエルニィに、赤緒は首をひねる。

 何度か見ると、どこか見知ったところで目にした覚えがあるような気がするのだ。

 黒い耳、だらんとしただらしなさ。それに目の下の特徴的な流星のような模様にやけに鋭い眼差し――。

「……どこかで……」

「あっ、ルイじゃん。こっち来なよー」

 手を振ったエルニィにルイが歩み寄り、猫を見下ろす。

 その眼差しに赤緒のほうがびくついてしまった。全く目線を合わせないルイはもしかすると動物が嫌いなのだろうか、と勘繰っていると、不意に猫が転がりルイの足元に至る。

 途端、ルイが電撃的にびくついたかと思うと、猫の腹を静かに撫で始めていた。

 その仕草はどこか慣れたものがある。

「る、ルイさん……動物は……」

「南米でアルマジロと一緒だったから、馴染みはあるのよ」

「ああ、そうだったそうだった! 小動物! なんか、懐かしいねー」

「そう、なんですか……。でも猫とアルマジロは違いますよ?」

「おんなじでしょ? どっちも小動物」

「そうそう! 赤緒ってば厳しくってさー。野良猫を持ち込んじゃ駄目なんだってー。ボクらそのものが野良猫みたいなものなのにさー」

「そっ、それとこれとは別じゃないですか! この子が変に懐いたら困りますっ!」

「えー、誰が困るの? じゃあさ、赤緒の意見が正しいかジャッジしようよ」

「ジャッジって……どうやって……」

 途端、エルニィは猫を引っ手繰っていた。そのまま胴を掴んで境内を駆け回る。

「アンヘルのみんなのジャッジ! 合意が多かったら、この子飼うから」

「あっ、ちょっと! 境内は走っちゃ駄目ですって――!」

 言い出して追いかける前に蹴躓いて赤緒は畳へと盛大に顔をぶつける。それを目にしていたルイがぼそりと呟いていた。

「愚図なのね。猫のほうがまだよくやるわ」

「うぅ……何ですかぁ、ルイさんまでぇ……。ど、どっちにせよ! 野良猫を飼うのは駄目ですっ! 私が怒られちゃう!」

「いいんじゃないの? 何が駄目なの?」

「そりゃ……勝手に増えたりとかしたら大問題じゃないですか!」

「増えても柊神社は広いじゃない。何を困るの?」

 純粋に疑問だとでも言うようなルイに赤緒はいきり立って反発していた。

「広いからって問題じゃないんですっ! いいですか? 野生動物を飼うってのは、責任感のある人じゃないと……」

「あっ、さつきを捕まえたみたいだけれど、止めないの?」

 エルニィがさつき相手に是非を問いかけている。

 赤緒は慌てて靴を履いて飛び出していた。

「ストップ! さつきちゃん、この子は……」

「わぁっ、かわいい……っ! 赤緒さん、飼うんですか?」

 猫に頬ずりするさつきの純粋な笑顔に赤緒はまごついてしまう。それをにやにやとエルニィは観察していた。

「飼うんだよね? 赤緒」

「猫さん、みゃーみゃー」

 さつきは猫に慣れているのか、目線を合わせて頭を撫でる。猫のほうも可愛がられる行動は理解しているのだろう。ごろんと腹這いになりその身体をさつきに任せていた。

「うぅ……っ、か、かわいい……」

「赤緒ー、敗北宣言するんなら、今のうちだよ?」

 肘で突くエルニィに赤緒は意地になって言い返していた。

「で、でもっ、飼っちゃいけないんです!」

「えっ……駄目なんですか? ……かわいそう。みゃー……」

 みゃあ、と猫も心得たように鳴く。涙目のさつきに赤緒は取り成そうとして、エルニィが猫を掴み上げ次なる目的地へと移動していた。

 赤緒は必死にそれを追いかける。

「ま、待ってくださいっ……! 立花さんってばー!」

「赤緒ってば、脚遅いねー。そんなんじゃ、ボクに追いつけるわけない――」

 振り返りながらこちらを小ばかにしていたエルニィは、不意にぶち当たった相手に視線を振り向けていた。

 メルJが鋭い眼光で睨んでくる。

「何をやっているんだ。私の訓練区域に入るな。撃たれても文句は言えんぞ」

「あっ、メルJ……は反対しそう……。またね」

 くるりとエルニィは身を返す。

「どこへ行く、立花。その猫は何だ」

 エルニィの首根っこを引っ掴み、メルJが問い質していた。

 赤緒は内心、しめたと思っていた。

 メルJならば感情に流されず、猫の処遇を決められるはずだ、と。

 エルニィは不承そうに猫を差し出す。

「この猫、飼っていい?」

 メルJの眼光は厳めしい。その決断されるところは、と二人とも唾を飲み下す。

 その時、猫がメルJの指先を舐めていた。

「あっ、こら! 舐めちゃ駄目だよ」

 猫が粗相をしたと思ったのだろう。エルニィの言葉に、これで好転する、と思った赤緒は直後にメルJが猫をだらんとぶら下げたことで確信していた。

 メルJなら反対してくれる、と。

 しかし、フッと口元に笑みを浮かべたメルJは猫を優しく抱きかかえていた。その様相に二人して唖然とする。

「……いい眼をしている。本物の修羅場を潜った眼だ。野生とは言え、たくましいじゃないか。気に入ったぞ」

「め、メルJ? 飼っていいの?」

「猫の一匹や二匹、問題ないだろう。私の訓練区域に入れるなよ。撃ってしまっては寝覚めが悪い」

 エルニィにひょいと返そうとして、猫はじたばたともがき、メルJの頬を舐め取る。

 その行動にメルJが放心していた。

「気が多いなぁ、このにゃんこは」

 諌めるエルニィに、にゃあんと鳴いた猫がメルJを一瞥し、今度は自身で地を踏み締めて駆け出す。

 その背中をエルニィが追いかけ回した。

 赤緒はぼんやりしているメルJへと、そっと歩み寄る。

「あの……ヴァネットさん……猫が粗相を……」

「いや、その……いいんだ。私は……小動物に好かれたことはなかったからな。こういうのは……何だか心があったかくなる」

 どうやらメルJも賛成派らしい。赤緒は鳥居の下で睨み合う猫とエルニィを発見する。

「このにゃんこ! 捕まれぇー!」

 エルニィが飛びかかるがそれを掻い潜り、さつきへと向かう。

「行ったよ! さつき!」

 あわあわとするさつきへと、跳び上がった猫がひょいと頭に上っていた。

「頭の上! 捕まえて!」

 エルニィの指示にさつきは戸惑って手を掻き回す。

「えっと、その……! どうすれば……!」

 とんとさつきの頭を足掛かりに飛び上がった猫がルイの足元に至る。

「ルイ! そいつを捕まえてよ!」

 ルイと猫が暫し睨み合う。赤緒がぐっと息を呑んだのも一瞬、猫はしゅっとルイの股下を潜っていた。

「あーっ、もう! 捕まられたでしょー!」

 アンヘルメンバーが総出で猫を捕まえようとするが、柊神社の境内で輪を描くように縦横無尽に駆け巡る猫に、赤緒は疲弊していた。

「ね……猫さんの動きに順応するのは……無理ですよぉ……」

「泣き言言わない! あっ、南ー! 猫捕まえて!」

 居間でテレビを観ていた南へと猫が肉薄する。

「えっ、何?」

 視線を振り向けた刹那には、猫パンチが南の額を打ち据えていた。

 そのまま南はノックダウンされてしまう。

「な、何なの……」

「あー、神社の中に入っちゃったよ……。まずいなぁ……せっかく飼える希望が見つかったのに」

 後頭部を掻いて参るエルニィに赤緒は言いやっていた。

「……諦めてくださいよ。あれだけ奔放な猫なんだから、きっと私たちが飼うよりもいい結果が……」

「えーっ! でもでも! 飼いたいじゃん! 猫飼わせてよ!」

「駄目ですってば! 猫は飼いません!」

 じりじりと睨み合いになる最中、不意に声が弾けていた。

「……何やってんだ、てめぇら。アンヘルメンバー総出で……鬼ごっこか?」

 屋根から飛び降りてきた両兵がこちらを胡乱そうに見据える。

 その眼差しと、そして相貌に、二人は同時に指差していた。

「「猫!」」

 にゃあん、と声が発せられ、五郎が問題の猫を連れてくる。

「あン? 猫だぁ?」

 既視感の正体が判明した。

 そう、この猫は――両兵にそっくりなのだ。

「野良猫……ですかね。赤緒さん?」

「わ、私じゃないですっ! 立花さんが!」

「五郎さん、飼わせてよ。面倒看るからさー」

 エルニィのわがままに、五郎は嘆息をついていた。

 

 しゅんと項垂れたエルニィに赤緒はそっと呼びかける。

「立花さん。やっぱり猫は……」

「何で駄目なのさー。猫可愛いじゃん」

「でも、五郎さんの決定ですので……」

 あやふやに微笑んだ赤緒であったが、あそこで五郎がきっぱり言わなければきっと、あの猫を飼う羽目になっていただろうと予想する。

 そうなれば、どうなっていただろうか。

 今よりももっと、騒がしい毎日に転がっていたかもしれない。

「……でも、ボクも迂闊だった。どっかで見た顔だなぁ、って思っていたら両兵なんだもん。なんか、負けた気分だよ」

「……勝った負けたじゃないでしょう。それに、小河原さんでもいいじゃないですか。そんなこと言うと小河原さんが可哀想ですよ」

「えーっ……両兵にゃんこなんて可愛くないないー」

「小河原さんにゃんこ……」

 繰り返してみて、赤緒はもっと戯れておけば、と軽い後悔に襲われていた。

 思えば、もっと早く気付くべきだったのだ。

 あの孤高な眼差しと、どこか達観したようなプライドの高さ。それでいて、相手の庇護欲をそそる危なっかしさ……どれをとっても両兵に繋がるではないか。

「……にゃんこ……どうなったんでしょうか」

「なーんか、両兵が責任を持って橋の下に持っていくってさ。まぁ、あそこまで離れればもう柊神社までは自力で来られないよね」

「橋の下……まさか小河原さん……ご飯にするつもりじゃ……」

 青ざめた赤緒にエルニィは笑顔で首を横に振る。

「さすがの両兵もそれはないってば。いくら鋼鉄の胃を持っているって言っても……うん、大丈夫だと……思う」

「何で自信ないんですかー! 不安になるでしょう!」

「……だって、元はと言えば赤緒だよ? 飼えないって言うからこうなったのに」

 自分に責任を持って来るエルニィに赤緒はむっとむくれていた。

「それは……だって駄目ですからっ」

「ほーら出たよ。赤緒ってば強情だよねー。一度決めたらそれっきり。あーあ! にゃんこ飼いたかったー! 両兵にゃんこー!」

 ばたつくエルニィに赤緒はあたふたする。

「あ、暴れないでくださいよぅ……。私だって、小河原さん似だってもっと早くに分かれば……」

「なに? もっと早く分かれば、なんだったの?」

 ぴくりと眉を跳ねさせたエルニィに赤緒は取り成していた。

「な、何でもありませんっ! 立花さんがわがままだからですっ!」

「な――っ、わがままなのは赤緒もでしょー! 自分だけ両兵にゃんこを独占しようとしてたんだ!」

「し、してませんよぉ……。何でそうなるんですかぁ……」

 糾弾するエルニィにさつきとルイがそっと顔を出す。

「あのにゃんこ……お兄ちゃんに似てたんだ……。もっと可愛がりたかったなぁ……」

 どこかもの悲しげなさつきと、ルイは無言の圧を向けてくる。

 赤緒は自分だけ悪者になっていく感覚に冷や汗を掻いていた。

「そ、そんなみんなで私を悪者に……。わ、私だってにゃんこ大好きなのにーっ!」

 わーんとエルニィと掴み合って泣き合う。

「分かる! 分かるよ、赤緒! 赤緒だってにゃんこ飼いたかったんだよね!」

「た、立花さん……。私も小河原さんにゃんこ触っておけばよかったー!」

 泣き出した自分たちに南と五郎が呆れ返る。

「……何やってんだか。五郎さん、でも、よかったんですか? 両の奴に任せて」

「ええ、小河原さんはきっと、お優しいですから。一番いい方法を模索してくださるでしょう」

「一番いい方法……ねぇ……」

 胡乱そうに南は泣き喚く赤緒とエルニィを眺めていた。

 

「おう、ちっこいの。ここなら住みやすいだろ」

 橋の下まで連れて来たのはいいものの、やはりと言うべきか両兵は持て余していた。

 しかし野良ならば野良なりのプライドはあるはず。生き残れるかどうかは結局自分次第だ。

 両兵は別れる間際にじっと猫を観察する。

「……似てるか? これ」

 相手もじっとこちらを見据え、ふわあ、と欠伸する。

「猫はいいよな、気楽で。いい面構えしてンだからよ、せいぜい生き残れよな。それが男として生まれた……」

 そこまで言って、両兵は猫の下半身に、あるべきものがないことに気づく。

 瞬間、ぷいっと猫は手を滑り落ち、踵を返していた。橋の下からみゃーみゃーと子猫の鳴き声が聞こえてくる。

 猫はじぃっとこちらを睨んでから、子猫たちを引き連れていた。

 ――まったく、どこまでもふてぶてしくて立派な……母親だ。

「……メスなら最初からそう言えっての。あいつら、身勝手に似てる似てるって言いやがって。そもそも性別が違うじゃねぇか……」

 後頭部を掻いた両兵を他所に猫は子猫と共に歩んでいく。

 嘆息をついて両兵は橋の下のソファに寝転がっていた。

「ホント、マジにそう思うぜ。猫は気楽でいいよな、って」

 みゃあ、と一声鳴いて、猫たちは草むらの中に消えていった。

猫に頬ずりするさつきの純粋な笑顔に赤緒はまごついてしまう。それをにやにやとエルニィは観察していた。

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