​42 遠雷の日には

​著・シチミ大使

 遠雷が漏れ聞こえて、赤緒はやおら台所から遠ざかっていた。それを見た五郎が嘆息をつく。

「あの……五郎さん」

「はい。後はさつきさんに手伝っていただきますので」

 赤緒は面持ちを暗くして台所を後にする。それを怪訝そうにさつきは窺っていた。

「赤緒さん、どこか具合でも悪いんですか? 顔がすごく青かったですけれど」

「ああ、大丈夫です。そういえば、さつきさんには言っていませんでしたね、実は……赤緒さん、雷が怖いんです」

 それを聞いたさつきは目を丸くしていた。

「えっと……意外って言うか……」

「こういう時は仕方ないので、私が引き受けているんです」

「祭事とかで困らないんですか?」

 てきぱきと調理作業に移ったさつきに五郎は笑顔で応じる。

「もちろん、雨の日の祭事もありますが、その時には相当に我慢して、雷が去ってから力が抜けると言う有り様で。……そろそろ、克服して欲しいんですけれどね」

「雷が怖いってことは……今どこへ?」

「テレビのある部屋に行ったかと思いますよ。音で紛れるので」

「でも……この雷は長続きしそうですよね」

 さつきはまだ遠いが雷雲が徐々に近づいてくるのを予想していた。旅館では雨音や、雷など天候には気を付けるようにと言われて来たので、さつきは人一倍気にするようにしていた。

「さつきさんは、怖くないんですね」

「雷は、昔は怖かったんですけれど、お兄ちゃ……兄がいつもそういう時は宥めてくれていて。だから他の女の子たちよりかは、雷で悲鳴を上げることもなかったですね」

 兄のいた頃の思い出が蘇ってくる。今は、その掛け替えのない立ち位置に両兵がいる。そう思うだけで、怖いものは遠ざかっていくような気がしていた。

「私も末っ子だったので、雷は怖かったんですよ」

 手早く下ごしらえをする五郎にはそのような素振りがあるようには思えなかったが、彼がそもそも末っ子であったのも初耳であった。

「五郎さん、末っ子なんですか?」

「五人兄弟の一番下なんです。だから、大抵のことは自分でするようにしつけられてきましたので、こうやって料理もすぐに教え込まれましたね。厳しい両親でしたので」

 微笑ましく口にする五郎に、さつきは食材を切り分ける。

「そう……なんですか。ちょっと羨ましいですね。賑やかだったんじゃないんですか?」

「ええ、今のアンヘルのように賑やかでしたよ。ですから、赤緒さんの雷嫌いも、直ってくれるとありがたいんですが……」

 語尾を濁した五郎は自分ではできないことを悟っているようであった。さつきはうぅんと呻る。

「雷嫌いって、どうやって直せばいいんでしょう?」

 

 テレビのある居間には南の代わりにエルニィとルイがゲームで対決していた。

 二人を他所に、赤緒は掛布団を取り出す。

「なに、赤緒。調子でも悪いの?」

 なろっ、とゲームに興じつつ、エルニィが尋ねる。その隙をルイは逃さず、追撃を浴びせかけてKOしていた。

 エルニィが敗北の奇声を上げる。

「また負けたー! ルイってば強過ぎ……」

「あんたが弱いのよ。天才メカニックさん」

「むっ……挑発してくるじゃん。でもまぁ、その前に。赤緒、布団に包まって何やってんの? 雪ダルマみたいだよ」

 こちらを指差して笑うエルニィに赤緒はむぅと頬をむくれさせていた。

「だって……怖いものは怖いじゃないですか」

「あー、雷? 確かにさっきから近づいて来てるねぇ」

「立花さんは怖くないんですか?」

「全然! だって、自然現象じゃん」

 笑い話にしたエルニィには共感は得られなさそうだ。赤緒はルイへと視線を振る。

 彼女は澄ました顔でぷいと顔を背けていた。

「南米じゃ、スコールに嵐なんて当たり前。こんなので騒いでたら、身が持たない」

「また私だけ……」

 うぅ、と身を縮こまらせた赤緒は掛布団をより身体に密着させ、完全に身動きを取ろうとしない。それをエルニィが何度も笑う。

「トドみたいだよ、赤緒」

「わ、笑わないでくださいよぉ……。怖いじゃないですかぁ。おへそ取られちゃう」

 その言葉にエルニィがきょとんと目を丸くする。ルイもピンと来ていないらしい。

「……何でおへそ?」

「……知らないんですか。雷が鳴っている時におへそ隠さないと、雷様に取られちゃうんですよっ」

 常識だろうという言い草にエルニィがぷっと吹き出していた。

「馬鹿じゃん! 雷が何でおへそ取るのさ。大体、科学現象が人間に危害を加えるって言う考えがナンセンスなんだよねぇ、日本って。そういうところある」

「……そりゃ、立花さんは天才ですから、雷なんて怖くないかもですけれどぉ……。私は怖いんですっ」

 布団に包まったまま、身を縮こまらせる赤緒にルイとエルニィは顔を見合わせていた。

 二人がこそこそと声を潜ませる。

「……ね、面白そうじゃない? この状態の赤緒をどうにかして、布団から引っ張り出したほうが勝ち」

「……面白そう」

「聞こえてますよ……。何でそんなイジワルなこと考えるんですかぁ! そっとしてくださいよ!」

「えーっ、でもこの状態が続くと困るのは赤緒のほうでしょ? これから先、何かある度に雷怖いじゃどうしようもないじゃん」

「それは……その通りですけれど」

 ぐうの音も出ない。縮こまった赤緒へとエルニィが胸元を叩く。

「任せてって! これでも色んな恐怖症は克服させる手段くらいは分かってる! ね? ルイ」

「私は赤緒をどうにかしたほうが勝ちって聞いたけれど」

「ホラ、それはそれじゃん。赤緒だって、天気が悪い日には出撃したくない、ってなったら困るし」

 アンヘルの面子として、出撃拒否は最もあってはならない事態のはずだ。赤緒は項垂れたまま尋ね返す。

「……じゃあ聞きますけれど、雷を克服する方法って何ですか?」

「まずは雷って本当に怖い? って言う、赤緒の心理から解明しないと。赤緒は何で雷が怖くなったのさ」

「それは……自然に、ですかね。特に雷が印象付いた覚えはないです」

「でも雷が鳴っちゃうとこうなるわけだ」

「……まぁ、外では我慢しますけれど。柊神社だと五郎さんに甘えてしまって、布団に包まっちゃいます」

「じゃあ簡単だ! 我慢すればいいんだよ」

 閃いた、と言う様子のエルニィに赤緒は渋い面持ちを作っていた。

「……駄目です。我慢できるのならしてますし……それに我慢しろって言いますけれど、いつ落ちるか分からないドキドキで……何にも手につかないんです」

 今だって鼓動が爆発しそうなのだ。これでもし、雷が近くに落ちたものなら青ざめてガタガタ震えるしかない。

 エルニィは腕を組んで考え直す。

「……心理的なものだとは思うんだけれどねぇ……」

「私、妙案」

 ルイが挙手する。エルニィが促していた。

「人機の中に隠れる」

「あー、それ結構有効かも。人機の中なら、鋼鉄の塊じゃん。コックピットは絶縁体で覆われているし、もしもの時になっても絶対に落ちない。……何だ、解決しちゃったよ」

 つまんないの、とエルニィはさじを投げるが、赤緒はぶるぶると首を振っていた。

「駄目です……。人機まで行ける気がしません……」

「大丈夫だって! Rスーツ着てれば雷に打たれたって死にゃしないんだから!」

「打たれるって言う想定が既に嫌なんですっ!」

 布団を引っぺがそうとするエルニィに赤緒は断固拒否する。

 相当に強情だと判断したのか、エルニィは目線で促していた。

「……ルイ、やるよ」

 頷いたルイがさっと動き、Rスーツを取り出してくる。赤緒はルイとエルニィに板挟みになった形だ。

「さぁ、赤緒ー。観念してRスーツを着なよ……。そうすれば怖くないからさ……」

「い、嫌ですっ! 人機に乗ったら確かに雷なんて、とか思うかもですけれど! それでも今が怖いんですっ!」

「二人がかりだ。行くよ、ルイ!」

 飛び込んだルイとエルニィが揉み合いになり、赤緒は必死に掛布団を死守する。押し合いへし合いの中で互いの衣服を引っ張り合い、もつれ込んだところで不意に声が弾けた。

「……何やってんだ、お前ら」

 呆れ調子の声に三人が固まる。居間に顔を出していた両兵の視線はそのまま、Rスーツを着込ませられようと乱れた衣服に注がれていた。

 赤緒は涙目になって悲鳴を発する。

「両兵! 今は駄目だって! 刺激するだけだから」

 エルニィの制止に両兵は意味も分からず後ずさる。

「うぉっ……。何なんだ、てめぇら。上でジジィと打ってたらうるせぇから気になって見に来てやったのに……」

「間が悪いって! 今は赤緒の恐怖心を克服させるために頑張ってるんだからさ!」

「恐怖心……? 何だ、今度は何が怖ぇんだ? 言ってみろ」

 赤緒はより強固に掛布団を纏い、涙ながらに訴えた。

「……雷様におへそ取られちゃいます」

 その一言で両兵は察したらしい。うぅん、と腕を組んで思案する。

「……ンなこと今さらじゃねぇのか? 立花、人機って動いている時は雷なんて目じゃねぇ電力なんだろ?」

「うん。まぁね。永久電流を利用した活動機関を使っているから、そりゃあもう。とんでもないよ」

「人機は……そこまで怖くないんです。でもっ、雷は不意打ちじゃないですかぁ!」

「不意打ちって……。敵の弾除けるのは別に怖ぇとか言いやがらねぇのに雷なんてビビってんのか? ったく、しょうがねぇな」

 両兵は赤緒の手を取る。何をするのかと思えば、手の中に渦巻きを指でなぞって作り出し、それを繰り返していた。

 突然の行動にエルニィたちも呆気に取られる。

「両兵、何それ?」

「何って、オレが雷が怖ぇ時によくやった……まじないって言うのか? 効くんだぜ、これ」

 おまじないの効果云々よりも、赤緒は思わぬところでの共通項に戸惑っていた。

「小河原さんも……雷怖かったんですか?」

「ああ。つーかどっちかって言うと、雷が鳴ると人一倍ビビる人間が近くにいたからよ。その人から教わったんだよな。……あれ? 誰から教わったんだったか……?」

 首を傾げる両兵に比して、赤緒は少しずつ動悸が収まっているのを実感していた。

 ――どうしてなのだろう。このまじないを遠い昔に、誰かに教えたような、そんな気がする。

「へぇー。両兵、ボクにもしてよ」

「何でてめぇまで。怖くねぇんだろ?」

「あ、じゃあ今怖くなった。雷怖いー」

 わざとらしいエルニィにも両兵はおまじないを実践する。掌を指先でなぞる感触にエルニィがくすぐったそうにしていた。

「両兵、くすぐったいー」

「我慢しろ。ったく、怖くねぇ奴にまでやってどうするんだか」

「あの、小河原さん。そのおまじないをした人って……」

 言いかけて、一際大きな雷鳴が響き渡る。赤緒だけではない、全員がびくついていた。

 特に赤緒は少しだけ気を緩ませていたから余計である。完全に不意を突かれた赤緒は布団に包まり、全身を震わせていた。

「おい、柊。おいって!」

 両兵の声にも反応できない。そのような余裕はなかった。

 震え出した赤緒に、両兵は何度か声を投げたが、びくついてしまって何も聞こえた気がしない。

 そんな自分を見かねてか、直後、布団に包まったまま抱きかかえられていた。

 思わぬ行動に赤緒は目を見開く。

「ちょ、ちょっと! 小河原さん?」

「ったく、世話ぁ焼けるな。柊、ちょっと飛ばすぞ」

「飛ばすって……ひやぁっ!」

 駆け出した両兵は柊神社の境内を抜け、格納庫に至っていた。電源を入れ、照明を点けてから彼が赤緒を乗せたのはモリビトの掌の上である。

 巨大なる人機の手の上で赤緒は布団に包まった身を起こしていた。

「《モリビト2号》……」

「雷が怖ぇ時には、守ってくれる奴のことを考えるといい。モリビトはそういう点では適役だな。絶縁体だし、それにこいつは色んな人間の想いを乗せてきた人機だ。雷なんかにゃ負けやしねぇ」

「想いを、乗せた……」

「……南米でよ。人機に愛されたってマジに思った奴がいたんだ。そいつもスコールの日に、ナナツーに行き会って……。ああ、あン時は本当に、何でだったんだろうな。奇跡ってもんがあるとすりゃ、あいつにはそれがあったんだろうな。人機に愛されるってのは、それだけで称号なんだ。オレからしてみりゃ少し羨ましいくらいのな」

「羨ましい……小河原さんが、ですか?」

 意想外の言葉振りに両兵は頷く。

「オレは、人機に呪われている。愛されちゃいねぇんだ」

「そんなこと……っ」

「いや……愛される資格を、オレは手離しちまった。それはきっと……間違いねぇんだろう」

 そんなことを言わないで欲しい。両兵だって人機に愛されているはずだ。そうでなければ数々の苦難を乗り越えてきた説明がつかないではないか。

 赤緒は何か、気の利いた言葉を繰ろうとして、何一つ彼の身を癒すことはできないのだと思い知っていた。

 ――そうだ、両兵はいつでも自分たちを助けてくれた。でも自分たちは、両兵に何かしてやれたのだろうか。

 駆られた思いに赤緒は双眸を向ける。両兵は《モリビト2号》を仰ぎ見て、少しだけいつもより寂しそうな面持ちであった。

 まるで《モリビト2号》に、永遠に失った誰かを重ねるかのように。

 そんな顔をして欲しくなくって、赤緒は口にしていた。

「さっきのおまじない……多分、小河原さんを愛した人が、やってくれたんだと思います。そうじゃないと……こんなに心に、じんと来ませんから」

 だから愛されてないなんて言わないで欲しい。きっと、あなたを愛した人がそのおまじないを託したはずなのだから。

 両兵はへっ、と鼻を擦る。

「……湿っぽい話になっちまったな。雨の日はこれだからいけねぇ」

「小河原さん……」

 その時、またしても雷鳴が劈く。照明が明滅し、赤緒はモリビトの手から転がり落ちかけていた。その手を両兵が慌てて取る。繋がれたぬくもりに、赤緒は放心していた。

「……落ちんなよ」

「その……すいません……」

 どこか気まずげな沈黙が流れる中、赤緒は自然と《モリビト2号》のコックピットに視線を逃がしていた。

 あたたかな眼をした人機――と言うのは最初の印象から変わらない。

 機械の塊のはずだ。鋼鉄なだけの虚無のはずなのに、何故だろう。モリビトの眼差しだけはいつもあったかい。

 だからか、こうして自分たちを見守ってくれているのもきっと、何かの加護があるような気がしていた。

「……乗ってみっか? 人機に」

 非常時以外の搭乗は推奨されていないはずだ。それでも、両兵の口調に赤緒は自然と頷いていた。

《モリビト2号》に、何かするでもなく乗るのはともすれば初めてかもしれない。

 乗り込んで下操主席に両兵が座り込む。自分は上操主を務めていた。

「不思議ですよね。まだ乗り込んでそんなに経っていないのに、何だか懐かしさみたいなのはあります……」

「モリビトは特別だからな」

 両兵は両兵で下操主席に何か思うところでもあるのか、じっと腕を組んで座り込んでいた。彼にしては珍しく寡黙だ

「……連れ去られて、最初に戦った時もそうでしたよね。下操主に小河原さんがいて……」

「ああ、あン時はお前の超能力もどきで勝てたが、結構危うい勝負だったんだぜ? 相手もファントムを会得していたからな」

 思い返してみればギリギリの均衡で成り立った勝負も少なくはない。それでも勝てた、勝利者として吼えられたのは自分だけの力ではないのだろう。

「……何かできるようになりたいってのは、変わらねぇのか」

 シャンデリアで誓った操主としての気持ちを問いかけているのだろう。赤緒は逡巡も浮かべず返答していた。

「はい。何かに……誰かのための何か強いものに、なりたいんです。それがもしかしたら、小河原さんからしてみれば自己犠牲に見えるかもしれないですけれど」

「ンなこともねぇんじゃねぇか? それなりに場数も踏んで、危ういと思うことも少なくはなったさ」

 そうなのだろうか。だがもしそうだったとしても、こうして二人で乗り込むこと自体が少なくなるのはちょっとばかし寂しい。

《モリビト2号》が無数の人間の想いを受け止めてきた、とは伝え聞いてもまだその本人たちには会ったことさえもない。これから先に会うことはあるのだろうか。

 想いを伝えてきた誰かに。受け継いできた、その想いの源流に。

 もし出会えるのならば、それはきっと幸運なのだろう。

 自分は未熟だが、その人と会う時は、笑顔で会いたいと思っていた。

 笑顔で、胸を張ってモリビトの操主だと、そう言えれば――。

「小河原さん、私。いつかモリビトに乗って、会ってみたいです。人機に愛された、その人と」

「ああ。キョムとの戦いが終わりゃ、あいつも日本に帰ってくるかもな。その時に会ってやれ。だがよ、一つだけ言っとくぜ。あいつもビビりだったが、芯は人一倍強ぇ。ちょうど今の、てめぇみたいにな。モリビトを取り合うなよ」

 あはは、と笑える。こうして笑顔になることができる。それだけで、きっと――。

「雷……収まって来ましたね」

「雨も止んできた頃合いか」

 今はまだ克服は難しいかもしれない。それでも、モリビトと、両兵と共に前に進めるのならば、それだけでも自分は一歩ずつ赴けるのだろう。

 今よりいい未来に。

「雷……いつか克服したいです」

「おお。……ま、図体だけデカくなっても、全然な奴を、オレは知ってっけどな」

 その言葉には赤緒は首を傾げていた。

 

「南ー、ご飯できたって。南……また?」

 ルイが部屋の前で呆れた様子で見やる。南は布団に包まり、ふるふると頭を振っていた。

「雷……止んだ?」

「南、そんな調子だと馬鹿にされちゃう」

「だってぇー、あっちのスコールと日本の雷って本質的に違うんだもん。なんか日本のほうがおっかないって言うかさー」

 布団を被った南にため息をこぼして、ルイは肩を竦めた。

「……どっちもどっち、ね。赤緒のことは言えない」

今だって鼓動が爆発しそうなのだ。これでもし、雷が近くに落ちたものなら青ざめてガタガタ震えるしかない。

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