​35 譲れないものひとつ

​著・シチミ大使

 重く沈殿した静寂に、両兵は夜空を仰ぐ。

 とっくに暮れた月夜の晩に、背中を預けたのは軽自動車一台。ここに酒でもあれば、少しばかりマシなのだが、生憎酒もつまみもない。両兵は車越しに沈黙を貫いている相手へと言葉を投げていた。

「……機嫌直せって。オレだってこんなになるなんて思っちゃいねぇし……」

「それ、誘った側が言う?」

 切り詰めたエルニィの声に両兵は後頭部を掻いていた。どうにも今回ばかりは言い逃れが難しい。

「……悪かったって、言やぁいいのか?」

「悪かったって本心で思っているならねー。思っていないのなら、言わないほうが、ボクはいいと思うけれど?」

 当惑する。エルニィがこうもへそを曲げたのは別段、一度や二度ではないのだが、日本に来てからそれほどに関係がこじられたこともないだけに、ここまで意固地になられるとどう対処すればいいのか分からないのもあるのだ。

「……整理するぞ、立花。オレはホームレス連中から、誰かとドライブでもどうかって言われて車を預かった。まぁ、普段かなり盛り上げているから、その礼のつもりだったんだろうさ。ンで、まぁ、神社に行くとお前がいたもんだから誘ったら行く気があったろ? だったら、他の連中に邪魔される前に善は急げって言ったのは、お前のほうだろうが」

「しょーがないじゃんか。赤緒なんて来たらとんでもないし……」

「……何で柊がとんでもないんだ?」

「分かんないんならいいよ。……両兵のばか」

 どうにも今の自分ではエルニィの機嫌を取り戻すのには難しいらしい。いくつか言葉を投げて好転するかどうか試してみる。

「……IQ300だろ? 修理できないのかよ」

「あのさぁ、何も物がない場所から修理できると思う? 両兵は知能指数がチンパンジーなんだね」

「ンだと……」

 怒りに達しかけて、いや、と両兵は冷静になる。ここで自分が取り乱してどうするのか。

 両兵は夜空を仰ぎ、星を眺めていた。少しばかり都心から離れたお陰か、夜空が澄んで映る。ただ、それもこれも、背中に感じる廃車がなければ最高のロケーションだという話。

加えて今日のエルニィの機嫌を取るのは難しそうだ。いつもならばおちゃらけていて、アンヘルメンバーの中でもまだ何も考えずに喋れる間柄なのに、塞ぎ込んだエルニィはよくよく考えれば初めてであった。

 いや、正確に言えば、塞ぎ込んでいると言うよりも自分への当てつけ。両兵は、ことごとく参った、という評定を下さざるを得ない。

「立花……。確かにオレには無計画なところがあった。車手に入れた、じゃあドライブに行く。ンで、お前が手ごろだったからついていかせたら……エンストの上に修理できないレベルだってのは、言い訳はできねぇ……」

「言い訳していたら、今頃その頭をかち割っているよ」

 非情なる物言いであったが、ここがどこなのかも分からない以上、アンヘルメンバーへの助けも期待できないのだ。

「……アルファーは」

「持って来るの忘れた」

「ンじゃ無線機」

「バカなの? アルファー忘れたのに何で無線持っているのさ。それに遊びに行くのに無線機持つ人間がいる? ……ホント、両兵って常識ないよね。前からそう。南米で初めて会った時から、常識のないヤツだってのは分かっていたけれど」

「悪かったな」

「でもまー、まさかこの狭い日本で迷うなんてね。どうするの。車を押して近場のガススタンドでも探す?」

 その提案に両兵は、いや、と渋る。

「そうなるとお前はどうすんだ。車を持っていくとどうしようもないだろうが。さすがに女一人を夜道に置いていくほどのクズでもねぇンでな」

 その言葉に背中越しのエルニィがどこか不服そうな声を出した。

「ボクのこと、一応は女の子として見てくれてるんだ?」

「女は女だろ。それとも、男だと思われているほうがよかったか?」

「……ある意味では」

 その返答の意味が分からずに問い返そうとすると、エルニィが唐突に立ち上がり、上空を指差した。

「両兵! あれ、観なよ! 流れ星だ!」

 不意に夜空を横切った流星にエルニィが手を合わせてぼそぼそと呟く。

「……ンだよ、それ」

「知らないの? 流れ星が燃え尽きる前に三回お願いすると叶うんだよ?」

「知ってらぁ。小卒嘗めんな」

 言い返してから、そういえば、と両兵は腕を組んで憮然とする。

「お前、日本に来て日は浅いんだよな? いくら日系入っているって言っても」

「まぁね。ボクは日本、嫌いじゃないよ。雑多で、よく分かんない習慣が多くって、それでもみんながどこかでこの島国をよくしようとしている。何だか、何が迫ってもどんと来いって感じなのがさ」

「何が迫っても、か……」

 冗談めかした言葉であっても、両兵はこの国を覆うロストライフの現状を思い返していた。自分たちが少しでも仕損じればすぐさま全ての命が塵となる。そのような過酷な運命に抗うのがアンヘルメンバーであり、エルニィもその一人。

 その双肩は少女そのものであり、背負うのにはあまりにも弱々しい。

「……立花よぉ。お前、人機開発者なんだから、分かっているはずだよな? ……人機に乗り続けるとどうなるのか」

 ここで突きつけるのはともすれば卑怯だったかもしれない。それでも、突きつけなくてはいけない問題であった。

 赤緒やさつきたちは知らぬまま、人機に乗っている。その先に待つ「取り込まれる」現象を彼女らはどうやっても回避が難しいはずだ。

 エルニィは車越しの距離で、まぁね、と応じる。

「分かっていないと、人機なんて造れないよ。……不運だった、で諦めるにしてはちょっと重いよね」

 エルニィも責任を感じつつ、人機の整備に当たっている。誰も責められまい。こんな過酷なる運命を誰に強いることもできないはずなのに――エルニィは目を背けるつもりはないようだ。

 その証左に、両兵はエルニィの頭を撫でてやっていた。

「なに、わしゃわしゃと……くすぐったいんだけれど」

「いや、なんか褒めてやらねぇといけねぇ気がしてな」

「……ボク、犬じゃないよ?」

 その言葉に両兵はへっと笑みを浮かべる。

「ワンコロのほうがまだいい反応するぜ、この跳ねっ返り!」

「言ったなぁ、バカ両兵!」

 こうしてじゃれ合っていると、このトラブルも忘れてしまえそうであった。それに懐かしくもある。

 南米での僅かな日々で、エルニィと絆を交わしたことも決して少なくはない。

 その間にいつもいた、かけ替えのない――愛した少女のことも。

「……今、誰かのこと考えてた」

 妙に目聡い。両兵は誤魔化そうとエルニィの頭を引っ掴む。

「考えてねぇよ」

「うっそだぁー! ……青葉のことでしょ」

 どうして、いつもは愚鈍なくせにこういうところでは変に気が回るのだろう。両兵は隠すのも億劫で認めていた。

「……その通りだよ。あいつも、この空の下に……いるんだよな。多分、今も戦って……」

「両兵。感傷、似合わないよ。それにチンパンジーが何を考えたって、結局はチンパンジーじゃないか」

 言葉を彷徨わせたが、結局はその通りなのだ。自分に小難しい考えは似合わない。悩むくらいならば馬鹿正直でも突き進めばいいだけのはず。

「ま、オレもお前のこたぁ、勝手知ったるけれどな。猿顔の跳ねっ返り娘!」

「なっ……言っていいことと悪いことがあるじゃん!」

 つるんでくるのもどこか微笑ましい。思えばエルニィには人機に関しては任せ切りで、日本に来てからは構ってやることも少なかったか。

「……悪ぃな」

「……何で謝るのさ。ボク、何かしちゃった?」

 唐突に収まったエルニィに、いや、と両兵は頭を振る。

「……シャンデリアに柊が連れ去られた時もよ、お前はなぁーんも、文句言わずにオレのことを信じてくれたよな。もっとなじったり、今まで何をしてたんだーって言っても……別によかったのによ」

「……何それ。キレたって何も進展しないじゃん。分かってるよ、それくらい」

 どこか不貞腐れたようにむくれて見せたエルニィにはしかしその実、かなりの部分で頼り切っている。赤緒たちアンヘルメンバーの頭脳として、何も前線で戦いながら補助しなくとも、と言いかけて、いやと撤回した。

 ――それもコイツの意地、か。

 エルニィも自分の居場所を見出しているのだ。この窮地に、アンヘルメンバーはそれぞれ前を向こうとしている。

 客観的に観れば、戦力の面でも追い込まれ、争いを続けるのも無為と思われても仕方のない戦線だ。それでも戦い抜き、未来を掴もうとするのはやはり「意地」。ここぞと言う時に今まで自分たちを衝き動かしてきたのは打算や大局を読む計算式ではない。

 意地だ。

 煮え滾る意地だけが、自分たちの活路。

 心の奥底で燃え上がる意地と、そして宿縁。自分は自分で、あの青葉によく似た少女――シバともケリをつけなければならない。

 何のために、誰のために在るのか。それを問い質さない限りは死んでも死にきれない。

 それは赤緒も同じはずだ。

 誰かのために自身を犠牲にするクセは少しなりともマシになったとは言え、それでも危なっかしい。アンヘルメンバーは皆、そのような者たちばかりなのだ。

 さつきは兄がいないながらに地力で立とうとしている。それを支えてやらなければならない。

 南はアンヘルのトップとしてよくやっているが、それでもかなり気張っているのは昔馴染みだ、よく分かる。そんな気を張るなと言えるのは自分だけだ。

 ルイは……昔から読めないながらに何かを抱え込んでいるのは窺える。抱え込むクセをどうにかしてやらない限り、どこまでも闇をはらむだろう。少しは子ども扱いしてやったほうがいいのかもしれない。

 メルJは払い切れない因果をようやく払ったところだ。まだ、心の奥底に重く深く、積み重なった戦いへの信念がある。それを解きほぐしてやらないと、一人の女性としての生を歩むことはできない。

 そして――ここにいるエルニィ。彼女だって、いびつの塊のようなものだ。粋がっていたって、何も感じない愚鈍を装っていたところで、一番にしわ寄せが来る立場には違いないはず。エルニィを少女扱いできるのは、恐らく自分だけだろう。

 他の者たちでは、彼女に頼り過ぎてしまう。どうしても、エルニィならば打開できると思い込んでしまっている。彼女はそうでなくとも自分の問題は自分で解決してきた。

 過去に聞いた、数式を視る眼も、他人との不和も、自分で解決したのだ。

 それだけ彼女は強い。そして気高いはずだ。人機の設計者になるという大上段に掲げた夢を実行している。実行し続けている。

 それがどれほどの研鑽と、どれほどの暗雲を引き裂いての勇気ある今なのか、分かってやれるのは――。

「……立花。賭けするか」

「賭け……? 言っておくけれど、ボク、勝つよ」

 強気に打って出たエルニィに両兵は笑いかける。

「ンじゃ、賭け。ここに百円ある」

「うん。両兵にしては珍しい、百円玉だね」

「こいつを十倍にできるか?」

 問いかけた言葉にエルニィは目を見開いて首を横に振ろうとする。

「何それ……。そんなの無茶じゃん」

「だがオレたちのやろうとしていることは、そういうことだろ?」

 そう、無茶無策。そして荒唐無稽。それが自分たちの赴こうとする道なのだ。エルニィは少し考える仕草をした後、あっと声にする。

「両兵。それには少しだけ、働いてもらわないといけないかな」

 ふふーんと不敵に笑ってみせたエルニィに両兵は応じる。

「策、あるんだな?」

「車押して。ボクだけじゃできない」

「あいよ。で、どっちに向かうんだ?」

「星の方角から考えて……無暗に走ってきたとは言え、北かなぁ」

「おうよ。北だな。言っておくが、これはオレにとっても賭けなんだぜ? 保障はねぇ」

「そんなのばっかりじゃん。今さら被害者ぶるのはずるいよ」

「だな。分かってる」

 拳を突き出すとエルニィはその拳にこつんと突いてから、指示する。

「さぉ! 押しちゃって! ガス欠で動かないのは両兵のせいなんだからね! 馬鹿力だけが頼りでしょ?」

「言ってくれるよ、このガキ……。ま、体力と無鉄砲さだけは売りのつもりだからよ。やってやるさ」

 果たして、立ち向かった先に何があるのか。それは分からない。だが、自分たちの指し示す先が闇夜であっては決してならないのだ。

 星々の下で、両兵は車を押す。

 エルニィは、いっちに、いっちに、と応援していた。

「ホラ! まだだよ! いっちにっ、いっちにっ!」

「……そろそろ教えてくれねぇか? ガススタンドか? それとも、いい塩梅にオレらに恵んでくれる、勝利の女神でもいるってのか?」

「勝利の女神……ってのは正しくないかもしれないけれど、あれ。見てみなよ」

 エルニィが指差したのは河川敷だ。そこには炎を囲うホームレスたちが集まっている。

 エルニィが駆け出し、彼らへと交渉を開始する。両兵は覚えず当惑していた。

「何やってんだ、あのバカ……っ。オレなしで、ホームレス連中とつるむなんざ……」

 如何にエルニィが天才とは言え、身の丈は少女そのものだ。自分がいなければ危ういところもある。追いついた時にはホームレスたちがエルニィの話を聞き終わった後であった。

 何が起こったのか、と問いかける前に一人のホームレスが尋ねる。

「嬢ちゃん、本当にいいのかい? 車一台を恵んでくれるって」

 へ、と両兵がまごついたのも一瞬、エルニィは強気に言いやっていた。

「うん! いいよ! 車に、ちょっと残ったガソリン! それをあげちゃうから、ここの地図と、それに帰りの電車代が欲しいんだ! この辺は寒そうだから、暖を取っていたんでしょ? あの車一台なら、相当な時期は稼げるはず!」

 北を目指せと言ったのはそのためか。今さらに思い知った両兵にホームレスたちが言いやる。

「そんなうまい話……」

「ところがどっこい! あるんだよねぇ……。帰りの道筋と電車代さえくれれば、車をタダであげちゃう!」

 ホームレスたちは車を検分し、そして壊れた個所を理解した様子だ。

「ガソリンもそこそこ残っている。あれは単純にバッテリーが逝っちまった状態だな」

「俺たちの集落なら、直す手立てもある。……しかし、タダってのは胡散臭いな」

 それを読んでいたのか、エルニィは笑みを浮かべた。

「……やっぱタダってのは駄目かぁ……。じゃあ、両兵、交換条件をあげようよ。こっちの全財産」

 まさか、と両兵は握り締めた百円玉を差し出す。ホームレスたちは目を丸くしていた。

「たった百円で?」

「そう! たかが百円、でもボクらの全財産だ! どう? これでそれなりに渡りはつくんじゃない?」

 最初に無償を提示しておいて百円で少しばかりの揺さぶりをかける。無論、こっちにはそれ以外に手はないわけだが、車一台と百円がついてくるのならば、ホームレスとしての経験上、旨味を優先するだろう。

「……本物だろうな?」

「車も百円玉も、紛れもなく本物さ! でも、この機会がないと、他の人を頼っちゃうかも……どうする?」

 問いかけるまでもない。ここでの相手の動きは決まっているだろう。

「……おい、どこまで乗っていくんだ? それによる」

 とは言いつつ、もう決定打にはなっているのだ。エルニィはここで謙遜混じりの声を発する。

「帰れればいいよ。地図ももらえるよね? 帰れることが条件なんだから」

 やれやれ、と両兵は恐れ入る。帰れればいいと言いつつ、ここでの破格の条件に飛びつかない相手がいるものか。

 ホームレスたちは金を出し合い、やがて結論を下した。

 

「いやー! 帰れたー!」

 柊神社の境内が見えてきて二人は安堵する。いや、安堵しているのは自分だけか。エルニィからしてみればこれも計算、とでも言いそうだ。

「マジに増やしやがった……」

「ちょうどここまで帰ってくるのに千円だったよね!」

 にしし、とエルニィは微笑む。これはしてやられた、と思うしかない。あるいは、こう言うべきだろうか。

「……お前となら、帰れると思っていたぜ」

 その言葉に虚を突かれたようにエルニィは呆然としてから、咳払いした。

「な、何さ! 褒めたって何も出ないよ?」

 視線をぷいと逸らすエルニィに、両兵は笑いかけてから、唇の前で指を立てる。

「今日のことは」

「ボクたちだけの秘密、だよね! えへへ、また両兵と秘密、作っちゃったっ!」

 微笑んで駆け上がる相手は読めない少女か。あるいは気の置けない盟友か。いずれにせよ、両兵は階段を跳ねたその疾駆に素直に称賛する。

 月下を跳ねる自分勝手な兎を、その姿に重ねていた。

「お前なら、オレがいなくても……。いや、それは言わない約束か。……立花ァ!」

「なーに! 両兵!」

 境内の門前で振り返ったエルニィに両兵はサムズアップを寄越す。

「また明日な! ダチと分かれる時、日本じゃこう言うんだろ?」

 その言葉にエルニィは放心しているようであったが、やがて最高の笑顔と共に手を振っていた。

「うん! またねー、両兵!」

 身を翻し、手を振り返す。

 どうやら、また会えるだけの約束手形はあるらしい。ならば、これも一つの絆だろう。

 

「……ずるっこいな、両兵は。友達だって言われちゃったら、ボク、これ以上踏み込めないじゃん」

「彼女」にとってはその事実だけで身を引く理由になった。しかし、諦めたつもりはない。

「……でも、負けない、負けたくないし。だってボクはボクだもん。天才、嘗めないでよね」

 満月を見据え、「彼女」は指鉄砲を放っていた。

両兵は夜空を仰ぎ、星を眺めていた。少しばかり都心から離れたお陰か、夜空が澄んで映る。ただ、それもこれも、背中に感じる廃車がなければ

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