27 Jの刻印

​著・シチミ大使

 作品の一つとして、人造人間であるゾールは完璧である、と主は告げていた。

「だってそうじゃないか。彼らには繁殖に必要な器官は存在せず、そして不要な思考回路は全て遮断され、ただ戦闘にのみ研ぎ澄まされた神経がある。内臓もないから兵役にとって一番の問題点である食糧問題を完全に克服した、新たなる人類のひな形だよ」

 その言葉を人格がない交ぜになった道化師――マージャは聞いていた。

 既に人格融合は果たされている。内包する記憶の中に、ゾールに関しての情報源を呼び起こし、能面の道化師は口にする。

「……私にとってもあれは自慢の一つです。なにせ、我がグリム協会の生み出した、至高の作品が一つ。そのうちの一つは……我が手にはありませんが」

 思い描いたのは移植された過去。マージャの中で「Jハーン」としての人格が呼び起こされる。

 彼はかつて禁忌を犯していた。それはヒトの到達すべきでない、完璧な存在の追求だ。

 グリム協会は潜在的に完璧を追及する。完全なる「それ」を常に求め続けていた。人機も、人造人間も、そして強化人間技術でさえも、彼らからしてみれば完全を辿る過程に過ぎない。

 完全とは何か。

 完璧とは何か。

 無敵とは、どこにあるのか。

 真理はどこに存在するのか。

 その追及こそが、グリム協会――あの北欧の小さな寒村に住まう者たちの悲願であったのだ。

 彼らは隠れ潜みながら、真理と真実を探求し、この世の幸福を模索し続けた。

 マージャは「Jハーン」の記憶を手繰り、その道標を探す。

 それは忌まわしい、血で彩られた記憶であった。

 

 南米で観測された重力崩壊現象を解析するのは、いとも容易かった。

 恐らく、この時代で、遠く離れた場所に位置する異形を正確に把握できたのは彼らだけであろう。

 外套を目深に被った者たちは、技術の粋である観測衛星――シャンデリアから捕捉される全ての情報にアクセスしていた。

 明滅する機械の群れが、似つかわしくない煉瓦細工の家々の地下道で繋がっている。

 どれもが一国を傾けさせるだけの情報を持ちながら、彼らは閉鎖的であった。それは、「自分」もであろう。

 静かに、閉鎖空間の中で過ごすことに何の疑問も挟まない。それが、この村の掟だ。

「Jハーン。妹の様子はどうだね?」

 村の長に近い老人の問いかけに記憶の中の世界に浸ったマージャは、過去の辿った通りに答えていた。

「滞りなく。彼女には先日、成長促進剤を投与しました。負傷すればするほどに、身体の細胞を分裂させ増殖させて治癒します」

「その技術も我らグリム協会の秘中の秘。よいか? 村の外には決して出すな。あの小娘一つでも、もし村の外に持ち出されれば各国のパワーバランスに差し障る」

「御意に。しかし、それでも遊びたい盛りの年齢です。まだ……計画の実行には早いのでは?」

 Jハーンの提言に相手は鼻を鳴らす。

「そうもいかん。あの男は焦っておる。黒将……世界を憎む資格を持つ唯一の魔よ。《モリビト一号機》よりもたらされた技術一つで世界は変わる。あれの量産に移れるとすれば、それは我々以外に存在し得ない」

「ですが、人機技術は南米に一日の長がある。こちらが出し抜くのは難しい」

 南米、ベネズエラ軍部の情報網はどれも簡素が過ぎる。これでは奪ってくれと言っているようなもの。彼らの開発した戦闘用試作人機、通称「トウジャ」の設計図は既に村では公然の秘密となっていた。

「トウジャタイプを発展させるのは簡単だ。南米には我々の草が既に内々に技術提供している。それに、南米には天才もいる。彼奴を利用すれば、我々の思うがままに人機産業は跳ね上がる」

「ドクトル、立花……。立花相指でしたね」

 人機開発の権威。その人物とて、この村では所詮、操り人形であった。遠い異国の地にいる、グリム協会のための人間だ。

 彼の探究心と人機開発のノウハウを逆手に取り、南米で人機の戦闘データを解析する。裏では自分たち、グリム協会が一方的に搾取する、という形に気づいているお歴々は、今のところはいない。

 否、たった一人だけいたか、とJハーンは機械の群れの中で思い返す。

「――黒将。世界を憎悪する男」

「彼奴の目だけは誤魔化せそうにない。時が満ちれば、《モリビト一号》と共に、我々はシャンデリアに上る。その時に、後悔のないようにしておけ」

 そう、いずれ自分たちは戦闘用巨大要塞シャンデリアで、地上を俯瞰する神に等しい存在になる。その前に禍根は払っておくべきだ。

 Jハーンは村にいくつか設けられた洞から這い出る。晴天を睨んだ漆黒の瞳孔は既に人智から外れている。

 この身さえも強化の対象だ。人機を操るのに最適化――黒将のデータを用い、「血続化」の対象にある。

 血続としての能力を計測するのに、自らの肉体さえも利用するのがグリム協会のやり方であった。

 一つでも利用できる駒は利用する。

 ゆえに、その思惑は我が妹でさえも――。

「兄さん! お帰りなさい!」

 金髪をなびかせ記憶の中の「Jハーン」の妹が笑顔で洗濯物を干している。憎々しいまでの晴天の下で、白いシーツが映えていた。

「ただいま。メシェイル」

 自分の口から出たとは思えない、慈愛に満ちた声。その声音に記憶を手繰るマージャは困惑する。

「今、ご飯を用意しますね。……あっ」

 メシェイルが家に入りかけて、よろめいていた。恐らく成長促進剤の副作用だろう。

 Jハーンは歩み寄って手を貸していた。

「無理はしないほうがいい。お前は、まだ病み上がりなのだから」

「そう、でしたね……。私は……大病にかかって……」

 記憶操作は滞りなく実行されている。メシェイルは、実験の材料にされていることを継続記憶として認識できない。

「肺炎になったんだ。まだ胸の辺りが痛むだろう?」

「そう……、私は、肺炎にかかって……。ずっと寝たきりで……。でも、兄さんが治してくれた……」

「その通りだ。メシェイル。夕飯の前にいつもの訓練をしよう。生き残るために必要な訓練だ」

 メシェイルは少しばかり表情を翳らせる。彼女にとってはそれも苦痛の一つなのだろう。

「私は……、あの訓練をあまりしたくないんです」

 メシェイルの言葉振りにJハーンは兄として応じる。

「駄目だよ、メシェイル。これから先、生きていくのに必要なんだ。この村では誰もが扱える。だからお前も扱えなければならない」

 メシェイルは戸惑いながら、手渡された拳銃を握っていた。それでも彼女の迷いが振り切れた様子はない。

「でも……」

「的に当てるだけだ。人殺しをしろと言っているわけじゃないさ」

「人殺しは……しない」

 メシェイルは何度も自分に言い聞かせるように口にした後、やがて決心したらしい。

 強く頷いた彼女を、Jハーンは耳触りのいい声で誘導する。家の裏庭に取られた射撃訓練場は以前より「在った」と思い込ませてある。

「いいか? メシェイル。銃口を向けた人間は既に死んだと思え。自分に銃を向ける敵は愚か者だ」

「銃を向けた相手は、愚か者……既に死んでいる……」

 メシェイルは澱みなく、引き金を絞る。その銃撃が的を射抜き、メシェイルは安堵の笑みを浮かべた。

「兄さん……これで」

「ああ。これでいいんだ」

 そう、これでいい。――メシェイル・イ・ハーンは重要な血続サンプルだ。戦闘訓練を積ませ、いずれはグリム協会の尖兵として世界に弓を引かなければならない。

 だから、これでいい。

 戦闘マシーンに仕立て上げれば、と冷酷に思考するJハーンの思惑と、それとは別にこの光景を目にしているJハーンがいることに、記憶を覗き見ているマージャは当惑する。

 この時点で、Jハーンの人格が二つに分裂しているのだ。

 違和感の正体を探るべく、マージャはさらに過去へと遡っていた。

 

「……Jハーン。お前は若くして、既に視力を失った。それだけではない。肉体も老化の一途を辿っている。お前に施した強化手術は失敗だった。しかし、悲観することはない。これより、グリム協会の新技術でお前の再強化施術を行う。これによってお前は生まれ変わるだろう」

 その言葉に真っ黒な視界の中でJハーンであるはずの身体がもがく。既に拘束され、四肢の自由さえも奪われていた。それだけではない。神経が接続されていないのか、末端の感覚が曖昧だ。

 思考も白濁してぼやけている。

 過去は遊離して久しい。

「Jハーン」という人間が、本当に存在しているのか。その正体さえも掴みかねているのだ。

 村の者たちが「Jハーン」であるはずの身体へとメスを入れる。あまりの激痛にマージャはその記憶から自我を手離していた。

 

「……どうした? マージャ。まさか、Jハーンの記憶に潜っていたのかい? あまりそれで遊び過ぎるな。グリム協会の連中はそいつの何もかもを弄んだ。あまり過去に行き過ぎると戻れなくなるぞ」

 主の声でマージャはようやく、ここにいる自分を取り戻す。

 そうだ、自分は八将陣の道化師、マージャでありながらグリム協会の戦闘兵、Jハーン。

 二つの人格が一つの身体に共存している。

 しかしその境界線の如何に危ういことか。

 今にも決壊しそうな自我の線引きに、マージャは呻いた。

「……我が主。Jハーンは、本当に存在したのでしょうか」

「余計な疑問は死を招く。僕らは黒将から直々の命令権をもらっているんだ。それを最大利用する。……スポンサー連の期待も裏切りたくはない。君の専用機、《ダークシュナイガー》はもうすぐ完成する。そうすれば、いくらでもJハーンとして遊ぶといい。マージャ。君は何にでも成れるし、何者でもないんだ」

 主の言葉にマージャは混在したJハーンの記憶の奔流に再び飲まれていた。

 

 ――メシェイル・イ・ハーン。

 年齢は■■歳。これより執刀に入る。

 村の者たちがメシェイルの肉体へと強化施術を行う。その現場にJハーンは立ち会っていた。

 ハッと面を起こした時、「Jハーン」としての自我が目覚める。

「どうした? Jハーン。まさか自分の妹が実験台にされるのに、今さら良心の呵責でも?」

「いいや……。この施術を行わないと、メシェイルは死ぬのでしょう?」

「間違いなく、な。……黒将め、我々を従わせたいのならば口で交渉すればいいものを、武力で実行するなど……。だが、我々はあれに興味がある。人機、《モリビト一号》。あれは素晴らしい。ともすれば我々の悲願である、この星の根源に辿りつけるかもしれない」

「悲願……」

「そう、この星の根幹を支える数多の魂の行く末――命の河への接続だよ」

 そうだ。そのために、グリム協会は人里離れたこの村に棲み付き、そして彼らの叡智を磨いてきた。

 ――錬金術、機械工学、宇宙観測、概念世界への介入、人体改造。

 異端とされてきた研究と人間の進化論を突き詰めてきたのがこの村の人々の正体だ。

 彼らの技術と知識なくして、現時点での人類の繁栄はあり得ない。

 だが、人々は異端の術を操る研究者たちに石を投げ、唾を吐いた。

 古くは魔女、あるいは魔術師と蔑まれ、行き場をなくした研究者たちの作り上げた知識の結晶がこの場所だ。

 彼らは各々の知識の探究を諦めず、それぞれの力を最大限に活かし合い、そして二十世紀の終末が見えてきたこの時代に、どの国にも与しない最大級の楽園を打ち上げていた。

 ――名をシャンデリア。星を俯瞰する十字の罰。

いずれ無知蒙昧なる全人類に下るであろう、黙示録の刃。

 しかし、彼らは気づかなかったのか。否、気づけなかったのか。

 知識と叡智の探究の先に待っているのは、際限のない絶望と、そしてこの惑星への憎悪であることを。

「Jハーン」としてのマージャはこの状況を目にする。

 妹であるはずのメシェイルが解体され、そして再構築されるのを。

 ――これは何年前の記憶だ?

 その疑問符が形を成す前に、記憶の光景が形象崩壊した。

 油絵のように滲んだ視界の中でJハーンは彷徨う。

 その手が取っていたのはメシェイルの肩であった。

「兄さん?」

 こちらへと疑問の双眸を振り向けたメシェイルは、まだ小娘もいいところの年かさだろう。

 少女であるメシェイルはしかし、先ほどまでよりも明瞭な眼差しを持って、標的へと狙いを定めていた。

 言葉もなく、銃弾が弾き出される。

 一発、二発と的の中心に命中し、メシェイルは息をついていた。

「今日の訓練はここまでにしましょう。ご飯にしますねっ、兄さん」

 何事もなかったかのように炊事に戻る妹に、「Jハーン」は取り残されていた。裏庭の的は何度も雨風に晒され、そして毎日の訓練でささくれ立ち、ボロボロに成り下がっている。

 記憶の中で取りこぼされたJハーンはここでふと思い返す。

 ――妹に強化手術を施したのは自分なのか? それとも、村の誰かなのか?

 分からないまま、視界の中で微笑むメシェイルはシチューを口にしていた。自分もそれを口に含み、まるで味わっているかのように装う。

 味覚もなければ、ましてや食事の必要もないと言うのに。

 ――いつからだ? とマージャは記憶を手繰り寄せる。

 どことも知れぬ暗礁の闇の中、いくつかのイメージが脳内で弾けては霧散していった。

 ――血続? 人機を操るのに適した者たちか。よかろう。お前の妹がちょうどいい。あれを改造しろ。

 これではない、と捨て去った記憶の中で、黒の男の声が残響する。

 ――俺の下へと来い。異端なる者たちよ。お前らの未来は俺が握る。そして、世界へと思い知らせるんだ。弾いた側が、今度は弾かれる。

 映像がいくつも像を結び、収縮していく。

《モリビト一号》と《モリビト2号》が拳をぶつけ合い、反発したリバウンドの力場が世界を反転させるその爆心地の映像。

 あるいは……、黒の男の忌まわしき過去の残滓。

 血に染まった刀を手に、倒れ伏した人々を見やり、そして決意する。

 ――この世を破壊してやる。

 違う、これは「Jハーン」ではない。どうして、「黒将」の記憶が混じり合っている?

 マージャは内部人格が破綻の途上にあると悟り、慌てて引き上げた。

 道化師の身体は汗一つ掻かないが、それでも胸の中を焦燥感が掻き毟っている。

 ――何が起こっている? いや、主は自分に何をした?

 その疑念に顔を上げた時、獄炎が周囲を満たしていた。

 煤けた風に、煉獄の血の赤。炎の彩る破壊の極彩色に、一人の少女が拳銃を手に、こちらを睨み据える。

「……どうして。兄さん」

 自分も応じるように拳銃を突きつけていた。そして、唇が言葉を紡ぐ。

「何度も教えたはずだ。銃を向ける相手は愚か者だ。銃口を向けた時点で、相手は死人だと思え」

 その教えを、まるで信じたくない。信じてはいけないのだと、メシェイルの瞳が告げる。

「……撃たせないで……」

「メシェイル。お前は愚者の側だ。そして私は賢者であった。それだけの話。撃てるか撃てないかは結局のところ、それに集約される」

「……愛情を。兄さん! これまでの私に注いでくれた愛情は! 嘘だったの!」

 その言葉にJハーンの引き金にかけた指が硬直する。一拍の逡巡の後、Jハーンは返答していた。

「……私はお前の命を道具としてしか見ていない」

 それは真実なのか?

 マージャの意識が問いかける。この瞬間、「Jハーン」は引き金を迷いなく引けたはずなのに、どうしてそのような言葉を返したのか。

 どうして、実験動物でしかないメシェイルの頬を伝う涙に――胸を痛めることができたのか。

 自分もまた、人形でしかない。グリム協会の人々に利用された傀儡。ここでしか生きられないマリオネット。

 そう、「道化」を演じるしかないのだ。

 死するその時まで、命絶えるまで踊り続ける道化師。それが自分。八将陣、「マージャ」であり、そして「Jハーン」だ。

 ――そして、俺でもある。

 内側で燻った漆黒の声にマージャの意識と「Jハーン」の記憶は乖離して、そして引き金が絞られていた。

 

「マージャ。遊んでばかりいないで手伝ってくれ」

 主の声に意識を引き戻される。

 何度夢と現実の境目を行き来したのか分からない。ここにいるのが「Jハーン」なのか「マージャ」なのか。それとも、もう一つの「何か」なのか……。

 主は背中を向けたまま、ゾールの最終調整を行っている。

「これも僕らの作品だ。一つの命を生み出し、そして保護本能に従って行動させる。彼らは美しい。自らのことしか考えない、本能の理想形。獣の顕現だ」

 それを愛おしいと思えるのか、それともおぞましいと思えるのか。

 しかし自分は道化である。たとえこの身体と心が「Jハーン」であったとしても、「マージャ」であったとしても変わりはない。

 踊り続けるしかないのだ。

 この焼け落ちていく煉獄の世界で。

 振り返る。背後に聳え立つのは、この世の闇を引き写した漆黒の機体。《ダークシュナイガー》が、撃つべき敵を睨んでいる。

 蠢動する闇に、「彼」は呼応していた。

「――ああ。この身が尽きるまで、争おうではないか。私の愛しい、メシェイル」

 誰であろうと変わりはしない。

 破壊の宿命を帯びた道化師は、ただ嗤うのみであった。

完全とは何か。

 完璧とは何か。

 無敵とは、どこにあるのか。

 真理はどこに存在するのか。

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