19明日はきっと

​著・シチミ大使

『阪神レオポンズの救世主! バルクス・ウォーゲイル選手! ホームラン記録更新です!』

 レポーターの声が酒の席でも妙に残響する。

 バルクスは、傾けたウイスキーのグラスに映り込んだテレビの極彩色のスポーツ番組を視野に入れていた。バーで一人酒――それも同期チームメイトとは離れた完全な自分のための酒にも酔いしれられない。

 身に染み付いた所作のバットのさばき方は明らかに他の外国人選手とは違うと、スポーツ実況者は興奮気味に語る。

 それも当然だ。つい数週間前まで、自分は人機という戦うためだけの道具に乗っていたのだから。

 ――八将陣。この世界にとっての敵である自分の経歴を知る人間は、表にはいない。ゆえにこそ、シバの語る「ゲーム」とやらも自分にとっては範疇の外だと思い込んでいたのだが……。

「お客様、つかぬことをお聞きしますが、バルクス選手で?」

 グラスを磨くマスターの声にバルクスは醒めた眼差しで応じる。

「そうだが」

「最近、特にご健闘の様子で。スポーツニュースもそれで持ち切りですよ」

「レオポンズにいるのはそれほど苦痛ではない。スポーツというのも戦いの延長線上の一つ。私にとっては何も変わらない。あの日々から……」

 中東で黒将に見出されるより以前。戦いの駒として硝煙の棚引くあの戦場で、殺し殺されの理論で生きてきていた場所にいた頃から、何も。

 そう、何一つ変わっていないはずなのだ。

 変わったとすれば、それは自分が敗北したこと。そして、敗北しても――諦めなければいいのだと諭されたことだろう。

 敗者には死か、それよりも惨い結末を。

 それが世の理であったはずなのに、これほどまでに人は日和見になれるのだ。

 その変化に驚きもしている。

「……しかし、唐突な外国からの助っ人に驚いているでしょうね。阪神レオポンズの方々も」

「契約書にはきちんと目を通した上での契約だ。何も不都合はない」

「不都合はない……ですか。それは――どうですかね」

 バーカウンターよりマスターが取り出した拳銃が眉間を射抜くより先に、バルクスはグラスを投げていた。

 銃弾がウイスキーの入っていたグラスを粉々に砕き、跳ねた弾丸がバーで静かに音を刻む音響機器へと突き刺さる。

 静謐のクラシックにノイズが走ったのも一瞬。

 バルクスはマスターの拳をひねり上げ、その背筋を固めていた。素人ではない、と判断し問いかける。

「キョムか」

 呻いたマスターは苦々しく言い放つ。

「……あなたの空席は邪魔なんですよ。組織にとってね」

「義は通した。抜ける、という義理はな」

「そんなことでキョムがあなたを放逐するとお思いですか。既に極秘機密に触れている人間を、殺さない理由はない!」

 マスターが袖口より投げナイフを取り出し、そのまま空間を掻っ切った。その手はずと技の切れにバルクスは身をかわしつつ、ある人物を想起する。

「……ハマドの手の者か」

 マスターはナイフを掌の内側に隠して構えを取る。

「八将陣を抜ける、というのは死を意味することを知ってもらいましょうか。バルクス・ウォーゲイル」

「無知蒙昧になるか、死か。そういう点では分かりやすくっていい」

 来い、と手招く。その挑発に相手は乗った。バーカウンターを足がかりにして相手が跳躍する。

 回転軸を加えた一閃が腕を引き裂かんと迫った。

 その一撃を後退し様に椅子で防御する。寸断された椅子にその威力を思い知った。

「……本気、というわけか」

「最初から本気ですとも。あなたを殺すのに、躊躇いや侮りは邪魔なだけなのでね!」

 蹴り上げた一撃に軽業師のような身のこなしが相まって敵はそれなりの技量と知る。バルクスはここで出し惜しみをしても意味はない、と即座に判断し平時は使っていなかった格闘術を叩き込んだ。

 まず至近に達した相手の腕を脇で固め、そのまま膂力に任せて折り曲げる。それだけに留まらず、敵の体重をこちら側に乗せ相手の勢いを利用した背負い投げを浴びせた。

 バーの床が軋み、木造のそれが捲れ上がった。

 相手は背筋を突き抜けた衝撃にかっ血する。

「……まだ、終わりではない」

 刹那、習い性の身体が察知したのは膨れ上がった殺気。そう、殺人機械の放つ独特の「眼差し」。

 瞬間的に身体を伏せ、蹲らせる。直後、プレッシャーガンの光条がバーを引き裂いていた。ケーキを切るようにバーの空間が寸断される。外気に晒された空間を睥睨するのは、漆黒の悪鬼の群れであった。

「……《バーゴイル》」

「組織は……あなたを生かしておくつもりは……ない」

 マスターの最後の言葉にバルクスは舌打ちを漏らし、隣の建築物の屋根へと飛び降りる。体重を受け止めたトタンが軋む中で、バルクスは追ってくる《バーゴイル》の群れを目の端に捉えた。

 数は三。

 それでも、自分相手にはちょうどいい、というわけか。

「……嘗められたものだな」

《バーゴイル》が銃口を狙い澄ます。エネルギー兵器の一条の輝きが建築物を砕き、引き裂き、粉塵を上げて破砕していく。

 無論、逃げ切れるとは思っていない。このままキョムが自分を放っておくとも。

 だからこそ、手は打ってある。

 バルクスの向かった先は近場の廃工場であった。自分の行動圏は予め決めてあり、その行動範囲から逸脱することはない。

「……距離にして三百メートル。それまで私が生き残るか、あるいは《バーゴイル》の流れ弾によって塵芥に還すか……」

 いずれにせよ、賭けでしかない。

 屋根伝いに宵闇を駆け抜ける感覚は、戦場を駆け、その中で一つでも生き残る方策を見出していたあの頃を思い返す。

 仲間は皆、銃弾に倒れた。

 いい人間も悪い人間も、銃という暴力の前には無力であった。

 人はこうも残虐になれる。それを証明するのが戦場だ。

 拳銃を握るだけで、人間というものは、平時は持っているであろう、人並みの感覚から自身を枠外に規定できる。

 何度も見てきた。何度も裏切られてきた。その度に問い返した。

 ――どうしてここまで世界は残酷なのか? どうして勝者と敗者がいなくてはならない?

 そう、思い果てて、そして絶望した先に待っていたのはあの漆黒の仮面であった。

 黒の男は問いかける。記憶の奥底で、今も残響するいやに醒め切った声で。

 ――どうしてヒトは暴力を手にしたと思う?

 その時、自分は中東地で愛する我が子を失った直後であった。

 無論、その土地では愛していようがいまいが、言葉を覚えるより先に拳銃の扱い方を知り、誰かを愛するよりも先に誰かを殺す術を叩き込まれるのが是とされてきた。

 その正義は覆しようもなかった。

 だから子が死んだその時も、どうして、という思いよりも先に、そうか、という諦観が勝った。

 苦しまずに逝けたのならばそれでいい。その程度の、戦場の認識。その程度でしかない、それ以上などない、望みの残滓。

 だが黒将はそれを違うと断じた。

 ――簡単なことだ。ヒトは、暴力で他者と自分を分けた。分かるはずだろう? 壊す者と壊される者。失う者と獲得する者。ヒトは常に二者択一を求められる。勝者と敗者、と言えばより分かりやすいか。人間は、いずれかを選ばなくてはならない。貴様の子供もそうだ。死に選び取られた――敗北者。

《バーゴイル》の火線が飛ぶ。硝煙の臭いと、プレッシャー兵器独特の硫黄に似た臭気が嫌でも戦場の呼吸を思い起こさせる。

 バルクスの思考は戦地で黒将に見出されたその時へと戻っていた。

 敵を一掃して見せた、禍々しい黒の男は自分に告げる。

 白と灰色を内包した、悪魔の人機、《モリビト1号》。それを操る、羅刹の男。

 ――欲しくはないか? バルクス・ウォーゲイル。勝者の側の景色を。それとも、貴様は一生敗者でいるつもりか? 地を這い蹲り、泥水をすすってまで、醜く生き永らえると? それは、貴様にとっての敗北だ。生きながらにして死んでいるのと同じだ。勝てば、奪い取れる。勝てば、全てだ、バルクス。貴様は、勝てる。勝利者の視点に酔いしれろ。それこそが、お前の唯一の……。

 そこから先の言葉を思い出す前に、眼前をプレッシャーガンの一撃が割っていた。

 廃工場へと回り込んだ高機動の《バーゴイル》が自分を包囲する。

 そこまでだ、と言いたいのだろう。だが、自分はここで終わる気はない。

「……負けても諦めなければいい、か。黒将、私は弱い。あなたのように、強いまま死ねなかった。あなたは強いまま逝ったのか? 弱者は死ぬ運命、そして勝者のみがこの世を切り拓くのだとそう教えてくれたあなたが最期に見たのは何なんだ」

 プレッシャーガンの銃口にエネルギーが充填される。今にも自分を撃ち抜かんとした《バーゴイル》を、バルクスは睨み上げた。その瞳に、諦観はない。

「敗北は恥。生き永らえるは弱き者の……。だが黒将、あなたは一つだけ、間違えた」

 廃工場より黒煙を引き裂き、鋼鉄の腕が《バーゴイル》の銃口を握り締める。

 軋んだ機体がもつれ合い、自動操縦に設定した自らの力――《O・ジャオーガ》が憤怒の唸りを上げ、眼窩を煌かせた。

「この世には……消してはならぬ輝きがあるということ。そして……生きる人間も、弱者もまだ、捨てたものではないということだ」

《O・ジャオーガ》が《バーゴイル》を殴りつける。おっとり刀で照準した《バーゴイル》を《O・ジャオーガ》の有するオートタービンが弾き返した。

 その豪腕の掌へとバルクスは導かれる。

「言っていなかったな。八将陣は抜けたが、力を手離すとまでは言っていない。我が力、黒将より賜った愛機。それは今も共にある」

 頭部が割れ、開いた頭蓋に乗り込んだ。馴染んだマニュアル操作型の機械系統を規定値に設定し、バルクスは腹腔より叫ぶ。

「バルクス・ウォーゲイル。《O・ジャオーガ》、出る!」

 頭部コックピットが閉じ、鬼を想起させる角の下で眼光が敵を捉えた。射竦められたかのように動きを鈍らせた《バーゴイル》へと、愛機は馴染んだ動きで肉迫する。

 まずは一機。《O・ジャオーガ》のオートタービンによる一突きが血塊炉へと食い込んだ。装甲を射抜いた一撃が空間さえも鳴動させる。貫いた姿勢のまま、《O・ジャオーガ》はオートタービンを高速回転させた。

 巻き込まれた血塊炉付近の装甲が捲れ上がり、青い血が噴き出す。内側より炸裂粉砕される《バーゴイル》の光景は無人機である残り二機に何を思わせたのか。

 一機がプレッシャーガンを銃剣型に移行させ、斬りかかってくる。その一撃を難なくかわし、薙ぎ払いを胴体へと叩き込んだ。

 直撃と同時にオートタービンを稼動させる。猛り狂ったかのように武装が火花を散らせ、《バーゴイル》の機体を生き別れにさせた。

 残り一機、と睨んだ瞬間、敵機が背後より組み付いてくる。

 舌打ちを混じらせた瞬間、警告音が耳を劈いた。

「自爆する気か……」

 無人である《バーゴイル》ならばそれも可能。かつての自分ならばここで諦め、死の運命さえも受け入れていたであろう。

 だが、今の自分は。

 あの少女の言葉に感化された自分ならば。

「生きる……。負けても、諦めなければいい、か。吐かせてもらおう。これは! 勝者の言葉だと!」

 オートタービンを内側に保持し、自らの機体へと打ちつける。そのまま最大稼動に設定したオートタービンの破砕力が《O・ジャオーガ》の背筋を突き抜け、背面の《バーゴイル》まで貫通した。

 無論、愛機とて無事では済まない。捨て身覚悟の一撃はこの時、自爆寸前の《バーゴイル》を引き剥がしていた。

 よろめいた《バーゴイル》へと《O・ジャオーガ》は腰だめに武装を構え、打ち上げる。

 満身より咆哮し、その一撃が《バーゴイル》の頭部を打ち砕いていた。頭を失った《バーゴイル》は脱力したように項垂れた後、設定された自爆コードで内部より粉砕される。

《O・ジャオーガ》は爆発の余韻と光を照り受けながら武器を杖代わりとした。今の一戦、刺し違えてもおかしくはなかった。

 それでも、生きることを選択した己にバルクスはフッと自嘲する。

「……我ながら生き意地が汚かった、というだけのことか。だが黒将。あなたの得なかったものがここにあるような気がしてならないのだ。あなたは、確かに強かった。勝者であっただろう。だが、同時に諦めていたはずだ。人間に。そして人の善性に。だから、私は諦めないとも。たとえこの身が明日には朽ち果てようとも、それでも生き抜こう。それが、私の編み出した答え。……この極東の地で、見出した私だけの結論だ」

 朝陽を浴び、《O・ジャオーガ》が項垂れる。頭部コックピットより黎明の光を受けたバルクスはその眩さに目を細めた。

 祖国では明日を拝めるかも運次第であった。

 それが今はこうも確信を持てる。

「諦めない限り、明日はある。そうだとも、明日は……」

 きっと今日よりも、いいはずなのだから――。

バルクスは、傾けたウイスキ|のグラスに映り込んだテレビの極彩色のスポ|ツ番組を視野に入れていた

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