18さつきの一日巫女体験

​著・シチミ大使

「うぅ……ごめんなさい……」

 天井を睨んだ赤緒は盛大にくしゃみをする。五郎が体温計を手にしていた。

「38℃。風邪ですね」

 嘆息をついた五郎は額に手をやる。

「どうしたものでしょうか。これから地鎮祭があるのですが……」

「わ、私っ、行きますんで……。大丈夫ですっ……」

 強がった赤緒を五郎は諌める。

「駄目ですよ。赤緒さんは寝ていてください。ですが……私だけでは手が足りませんね。誰か、他の方を……」

 その時、扉を遠慮がちなノックが叩いた。五郎が呼びかけると、さつきが顔を出す。

「あの……おかゆ持ってきました。赤緒さん、お加減はどうですか?」

「ありがとうございます。風邪のようで、ちょっと困ったことになっているんです。赤緒さん、食欲はありますか?」

「うぅーん……、ちょっとだけなら」

「それならば結構。赤緒さんは一日寝ていてくださいね。無理はしないように」

 部屋を出ようとした五郎へとさつきは声をかけていた。

「あのっ……! もしかして、人手が足りないんですか?」

「ええ、まぁ。ですが、私だけでも最悪、可能ですので」

 微笑んだ五郎へとさつきは言いやる。

「私で……大丈夫ならお手伝いさせてください」

 その提案に五郎は瞠目する。

「さつきさんが? ですが、一応は柊神社の行事なので……」

「お手伝いできる範囲でいいんです。赤緒さんにも、五郎さんにもお世話になっていますし……何か私にもできることがあれば、って……」

「さつきちゃん……。でも、地鎮祭は難しいから、無理はしなくても……」

 咳き込んだ赤緒に五郎が忠言する。

「赤緒さんは結構、居眠りの常習犯ですけれどね」

 うっ、と痛いところを突かれて赤緒が口ごもる。さつきは食い下がっていた。

「私なんかじゃ、あてにならないかもしれませんけれど……少しでもお役に立ちたいんですっ」

 五郎は熟考を挟んだ末に、やがて頷いていた。

「分かりました。では、さつきさんは巫女服に着替えて、出かけの準備をしましょう」

 

 実際に着てみると赤緒のサイズのせいか、若干ぶかぶかであった。

「……胸の辺りがスースーする」

「赤緒さんの普段着ですから。咄嗟にさつきさんのサイズは用意できなくってすいません」

「い、いえっ! 行きましょう、五郎さん!」

 赤い巫女服に身を包み、さつきは五郎の後へと随伴する。街の表通りを赴く際、視線をやたらと感じた。

「あら? 五郎さん。今日は赤緒さんじゃないんですね」

 呼びかけてきた女性に五郎はにこやかに対応する。

「ちょっと体調を崩されまして。彼女が代理です」

 まぁ、と婦人は驚嘆したようだ。

「かわいい子ですねぇ。巫女服、似合っていますよ」

 さつきはその評に顔を伏せて照れてしまう。

「あ、ありがとうございます……」

「赤緒さんにはお風邪が早く治るように言ってくださいな」

「ええ、言っておきますね」

 遠ざかっていく女性の背中を、さつきは目で追っていた。

「赤緒さん……愛されているんですね」

「何だかんだで柊神社の巫女ですからね。ちょっと抜けたところもありますが、それも込みで商店街の方々からはご好評をいただいています。赤緒さん本人も、明るい方ですから」

「……私、代わり務まりますかね……」

 自分はちょっとばかし自信はない。操主として戦うこともそうなら、赤緒の代わりになろうなどおこがましかったのではないか。

 その不安に五郎は言ってのける。

「大丈夫ですよ。さつきさんにはさつきさんの、いいところがあります。無理して誰かになる必要なんてないんですから」

「五郎さん……。あの、南さんから何個か聞きました。赤緒さんのことも……。記憶喪失なんだって」

「ああ、そうだったんですか」

「だからってわけじゃないんですけれど……どうして、五郎さんは赤緒さんのお世話を?」

 五郎は顎に手を添えて考え込む仕草をした後、やがて言葉を絞っていた。

「……頑張り屋さんを、放ってはおけなかったんですよ」

「頑張り屋さん……」

「柊神社には元々、柊垢司さんという方がいらっしゃいまして。その方が赤緒さんを連れて来られたんです。最初こそ、赤緒さんは私にも心を開いてはくださいませんでした。黙りっきりで、まるで記憶だけじゃなくって何もかもをなくしたみたいな、そういう暗い眼をされていたんです。私も最初はどう接したらいいのか分からなくて。垢司さんに何度か尋ねてしまっていました。このまま置いておくのか、とか」

 しかし、五郎の口振りには暗い過去だけを語るものが宿っているわけではなかった。赤緒の話がそれだけで悲壮感にまみれていた代物ではないのが窺える。

「でも、赤緒さんはとにかく必死で……。最初、ご飯の炊き方も分からなかったのに、何でもやってくださったんです。自分なんかにできることなら、って。それが赤緒さんの……強さなんだと思います。自分なんかが、って言うのは悪い癖なんですけれどね。それでも、赤緒さんは掴める未来をひたすら掴むことに夢中で……。だからこそ、応援してあげたくなるんですよ。今のさつきさんと同じで」

 唐突に自分の名前が出てきてさつきは困惑する。

「わ、私ですか……?」

「さつきさんもよく仰いますから。自分なんかが、って。それを完全に克服して欲しいわけではありませんし、そういうものは自分で突破していくものなのも分かっています。ただ、あなたも赤緒さんも、自分が思っているほど軽んじていい存在ではない。それだけは心に留めておいてください」

 軽んじている。そのように映るのだろうか。

 だとすれば、自分は誰かに心配をかける愚か者だ。

 本当の兄と、小河原両兵。二人に守ってもらっておきながら、まだ自分には不安ばかりが渦巻いている。

 これは生まれ持ったものなのだと、諦めさえも浮かべていた。

 しかし、ここ数日で少しずつ変われるのだと、そうも思えてきたところだ。

 自分の愛機、《ナナツーライト》。操主として、血続としての実力。不安を払拭はできないかもしれない。それでも、自信が少しでも持てるのなら。今の自分を少しでも、誇りに思えるのならば、前に進むことに躊躇いはなかった。

 だからこそ、今回の巫女の役職も引き受けた部分がある。以前までなら誰かの代わりになんてことも考えなかったであろう。

 それを思わせてくれたのは、やはり、両兵の存在が大きい。

「……私、がんばります。だって、そうじゃないとお兄ちゃんに……がんばっているって言えませんからっ」

 五郎は一つ微笑んで、先を目指す。

「いい心がけです。では、地鎮祭を始めましょうか」

 

 地鎮祭では予め教えられたことを一通り行動しただけであったが、何故だか周りからは賞賛の声が飛んだ。

「赤緒さんとはまた違って新鮮さがあるなぁ」

「初々しいですね」

 五郎が会釈をして人々の声に応じていく。

 さつきも続いて会釈し、縮こまって五郎に続いた。

「き、緊張しましたぁ……」

「よくやってくれていましたよ。祝詞の間にもしっかり起きていてくださいましたし」

「えっ……ああいう場って起きているのが当然じゃないんですか?」

「ああ、これは失敬。赤緒さんはよく居眠りしちゃうんで、評価基準が下がっちゃっていますね」

 実際に地鎮祭を経験すれば分かる。あのような神経を張り詰める場で眠ってしまうとは、ともすれば赤緒は相当に図太いのではないのだろうかとも勘繰った。

「えっと……他には……」

「あとは神社に戻って清掃と、雑務だけですね。諸々はやっておくので、さつきさんはもう着替えていただいても大丈夫ですよ」

 さつきはしかし、その提言に首を横に振った。

「今日一日! がんばらせてくださいっ! 赤緒さんの代わりは無理かもですけれど……私なりに全うしたいんです!」

 五郎は暫し面食らっていたようであったが、やがて一つ首肯する。

「では、いくつかお願いできますか? どれも赤緒さんが普段やっておられることですが――」

 

 雑巾を絞る姿が板についていたからか、通りかかったエルニィが茶化す。

「えっ、さつきっていつからここの巫女さんになったの?」

「今日だけのお手伝いです。私なりに、できることがあるかな、って……」

「ふぅん。でも雑巾なんてよくやるなぁ。ボク、日本人の分かんないところに、それもあるんだよね。使い捨ての紙とかじゃなくって、布で拭くって言うのが」

「旅館でもお掃除のお手伝いはしてきましたから、それなりにできるんですよ。お食事とお掃除だけなら、ちょっとだけ自信はあります」

 床を磨こうとすると不意に影が差した。

 ルイがじっとこちらを見下ろしている。

「あの……ルイさん、どうしました?」

「ご飯」

「あー、えっと……。お掃除が終わってからでもいいですか?」

「さつき、いつから巫女になったの? 衣装もぶかぶかだし」

 覚えず胸元を隠す。エルニィも笑って乗っかった。

「赤緒のあれには敵わないよねぇ」

「おっ……お食事は用意しますんで! 私は今日一日、柊神社の巫女ですからっ!」

 床を雑巾掛けするさつきへとエルニィが声を飛ばす。

「パンツ見えてるよー」

 ひゃぁ、と短い悲鳴を発して覆い隠すと、エルニィが笑って手を振った。

「ま、一日巫女、頑張ってねー」

「うぅ……。私にも、でもできることがあるはずで……」

 

「受付、お守りの販売と、そのご説明……。参拝されるお客様のご案内……。大変だった……」

 一日を終え、五郎が労いの茶を差し出す。

「お疲れ様です。ちょっと一休みしましょうか」

 縁側に座り込んだ五郎が夕映え空を見上げる。さつきはその隣にちょこんと座り込み、はぁとため息をついていた。

「……駄目ですよね。赤緒さんの代わりになれなくって……」

「いえ、よく頑張っておられたと思いますよ。さつきさんなりに」

「私なりに……ですか。でも、代わりを務められないなら、それって……」

 言葉尻をしぼませたさつきへと、五郎は話を振っていた。

「……思い出話の続きなんですが、赤緒さんも最初は何もできませんでした。それでも、必死さだけは伝わってきたんです。何事にも全力で、自分を時には軽んじてしまう。それは悪癖だと思いますが、それでも前に進む真っ直ぐさだけは、今も昔も変わりません。私は、その真っ直ぐさで、守れるものを守って欲しいんです。……正直、人機の操主になられたこと、あまりよくは思っていません」

 意外であった。いや、そう言われてみれば五郎は一度として人機やアンヘルに関しては言葉を差し挟まなかったか、と思い返す。

「五郎さんは、やっぱり……アンヘルは、嫌……ですか?」

「嫌ではありませんよ。とても賑やかですし、それに楽しい方々ばかりで、華やかでいいと思います。ですが、時折……あの《モリビト2号》でさえも、見ていて不安になるんです。戦うための存在に、赤緒さんは乗っている。前しか見えない、真っ直ぐなあの赤緒さんが、前だけを向いて戦う……。それはすごく勇気のいることだと思います。それでも、赤緒さんは絶対に逃げないんでしょう。逃げたら、きっと何よりも後悔する。それが分かっていらっしゃいますから。巫女としての仕事だって、何度もくじけそうになったと思います。それでも一度だって、赤緒さんは諦めなかった。羨ましいほどです。赤緒さんの意思の強さは」

 五郎の胸の内をこうして聞いたのは初めてかもしれない。ともすればこれから先、聞くこともないであろう言葉であった。彼にも思うところはある。なにせ、赤緒とずっと一緒にいたのだ。

 彼女に関しては家族以上に大切に思っているはずである。そんな赤緒が戦場に赴くなど考えたくもないはず。

「……でも五郎さんは、止めないんですね」

 少しばかり意地悪な質問であったかもしれない。それでも、どうして止めないのか、聞いておかなければならない気がしていた。

 五郎は逡巡も挟まずに言ってのける。

「だって、それが赤緒さんの決めたことなら、私は尊重してあげたいんです。柊神社の……家族ですから。それはアンヘルの皆さんやさつきさん、それに小河原さんだってそうです」

 押しかけてきたアンヘルの面々や、自分のような余所者でも五郎は受け入れてくれる。それが何よりもありがたかった。

 それに、彼は分かっているのだ。

 赤緒が決めたことを絶対に覆さない、強い女性であることを。意思を貫き通す、何よりも眩いものを持っているのを。

「……私、赤緒さんの部屋に行ってきます」

「お茶を持っていってあげてください。一日寝込んでいたので、心配ですから」

 五郎の厚意にさつきは頷いて赤緒の部屋へと向かう。

 寝付いていた赤緒は自分に気づくと、薄く瞼を上げた。

「あっ……さつきちゃん……」

「お加減はどうですか?」

「うん。だいぶよくなったかな。……ごめんね、無理させちゃって」

「無理だなんて、そんな……! でも、赤緒さん、とても大変なことを、毎日されているんですね。それに人機の操主まで……。嫌になっちゃうことって、ないんですか?」

 その質問に赤緒は頭を振る。

「嫌にはならないよ。だって、五郎さんも優しいし、それに私……この柊神社が大好きだから。だって家族のいる場所は、守りたいでしょう?」

 家族。その当たり前の言葉にさつきは微笑んでいた。

 ――自分もいつか、そう思える時が来るのだろうか。当たり前の幸せを、人並みの幸福を守れる、それを誇れる時が。

「はいっ! 私も……一日でも赤緒さんのこと、知れてよかったです。それで、その……言いにくいんですけれど……」

「うん? どうしたの?」

「……私、お兄ちゃんと小河原さん……二人のお兄ちゃんはいますけれどでも……お姉ちゃんみたいな存在っていなくって。私も、柊神社のみんなを家族って思いたいんです。だからその……その一歩目と言うか、赤緒さんのこと、時々でいいから、お姉ちゃんって、呼んでいいですか?」

 不躾な提案であったかもしれない、とさつきはきつく目を瞑る。赤緒は最初こそ困惑していたようであったが、やがて笑顔を咲かせた。

「うんっ! 私もさつきちゃんみたいなかわいい妹ができるなんて、思わなかったなぁ……」

 これは希望的観測かもしれない。ただ一瞬の安息。一時だけのユメ。それでも、明日へと向かうのに幻想が必要なら、縋っていきたいではないか。

「これからも、よろしくお願いしますっ! 赤緒お姉ちゃん!」

 微笑むと赤緒は照れくさそうに後頭部を掻く。

「いざ言われるとなんだかむずかゆいけれど……うん! 私も、お姉ちゃんになれるんなら嬉しいっ」

 紡いだ絆が永遠ならば、たとえその誓いが泡沫でも――。

 今は、ただ愛おしい。

自信が少しでも持てるのなら。今の自分を少しでも、誇りに思えるのならば、前に進むことに躊躇いはなかった。

​著・シチミ大使

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