叩きつけるようなスコールに、立ち尽くした影があった。  白銀の髪より滴る水滴を払い、駆け抜けてきたルイは、服の裾を絞る。染みついた水の重さが素直に今の自分の引きずる悔恨の重さであった。  禊の雨にもならないのは、南米のスコールのもたらす騒がしさと、そして熱帯雨林特有の緑の臭気であろう。  ルイは打ち捨てられたバラック小屋の屋根を仰ぎ、そしてじっとそこで膝頭を抱えて座り込んだ。  別段、誰かに拭い去って欲しかったわけでもない。  それに、誰かに構われるのは一番の苦手とするところだ。  だからなのだろうか。  この時、自分をどうこうするだけの言葉も、ましてや行動も思い浮かばなかったのは。  平時ならば、どうすれば、どう動けば、何がどう作用するのか、手に取るように分かると言うのに、自分の身一つ持て余した現状では一歩だって進めやしない。  ルイは翡翠の瞳を中空に投げ、そしてぽつりと呟いた。 「……このまま、世界が雨に沈んじゃえば、いいのに」  どことなく、陰鬱で、そして気を揉んでいる。  自分らしくない、と言ってしまえばそこまでなのだが、ルイは掌に視線を落とす。  ――その日、私は、確かに逃げ出したんだ。 「あれ……ルイさん……見かけませんね……」  夕飯の時間になってもそこいらに気配のないルイに赤緒が気づくと、南は肩を竦めた。 「あの子だって、思うところがあるのかもねぇ。おっ、今日は焼き魚!」  南は夕食の席に着くが、どこか隠し立てをしているようでもあった。 「南さん、ルイさんはどうしたんですか?」 「えー、知んなーい」  赤緒は箸を伸ばそうとした南の焼き魚を遠ざけて問い詰める。 「……知ってるんですね?」 「わっ、私の晩御飯じゃないの……」 「みんな揃わないと夕飯は抜きですっ」  強い論調で言い放ったからだろうか。南は早々に降参した。 「……ちょっとケンカしちゃったのよ。ケンカ」 「南さんとルイさんが? ……でも、お二人はいつも……」 「仲良く見える? まぁ、その評価はありがたいけれど、親子ってのもね。一筋縄じゃいいかないわけ」  親子、と赤緒は時折脳裏を掠めるビジョンを思い返す。  おかっぱ頭の少女と、小生意気そうな少年の姿に、どこか他人事とは思えなかった。 「あの……理由を、教えていただけますか?」 「いいけれど……あの子だってお腹が空いたら帰ってくるわよ。……って、前もそうだったなぁ。お腹が空いたら帰ってくるって……ルイは猫かなんかだと、私ゃ思ってんのかもね。あーあ、母親失格って感じ」  ため息を漏らした南に赤緒は向かい合う。 「その……前って言うのは……?」 「南米にいた頃にね。あの子をこっぴどく叱ったことがあったの。その日は……今日と同じようなどんよりとした曇り空で……そんな時に、ナナツーのメンテナンスを交代でやっていたんだけれど……あの子ってば、サボっちゃってさ。でもその時には、青葉とモリビトの操主の権利を求めて、現太さんの下で勉強してたのよ。ナナツーとモリビトは似ているようで、中身は全然違うからね。あの子もちょっとした不注意だったんだと思う。でも、これって言っていなかったと思うけれど、私とあの子はたった二人の回収部隊でね。ヘブンズって言うんだけれど」 「ヘブンズ……」  南はどこか遠い過去を回顧するように視線を中空に投げていた。 「そっ、まぁあってないような部隊だったわけなんだけれどね。アンヘルは年がら年中資金不足資材不足ってんで、私たちは結構ベテラン操主として、お互いやってきたわけ。でも、青葉が来た時に、ルイは初めて熱くなってくれた。それまでクールに物事を斜に構えていたあの子が、熱中して青葉と競ってくれるのは嬉しかったんだけれど……寂しさもあったのかもね。たった一回の整備不良で、《ナナツーウェイ》は動かなくなるから、ちょっときつめに叱ったのよ。……それで一回、決裂しちゃった」 「決裂って……」  南は肩を竦め、首を振る。 「ヘブンズなんて解散だー、ってね。私も堪え性がなかったんだけれど、あの子も必死だったんだと思う。これまで通り、回収業を続けていくか、それとも変わって戦闘用人機の操主になるかっていう、分水嶺だったんだもの。あの子なりに努力して、そして勝ち取ろうって時に、私の存在は……もしかしたら邪魔だったのかもね」  笑い話にしようとする南に赤緒は顔を伏せていた。 「そんな……。だって南さんとルイさんは、その……理想の親子関係だと思うんです。だって言うのに……そんな……」 「そんなことで、と思う? それとも、そんな簡単なものじゃないって?」 「……はい。それに、私の言えた義理じゃないですけれど、ルイさんは何でもそつなくこなすからそういう……挫折とか、何かに躓いたりとかするイメージなくって……」 「あー、それ私も思ってたわ。あの子に挫折だとか、青春のピークみたいなのって無縁だって、どっかでね。だから……ルイが逆ギレした時には、私も何て言うか……びっくりしちゃったのかもね。こういう風に怒る子に育てた覚えはないのにって。今思うと……何て言うか、随分と傲慢な考え方よね」  天井を仰いだ南に赤緒は言葉を彷徨わせていた。  南とルイの間柄だ。自分の口出しする部分ではないのだ、と。だが、赤緒はそっと口にしていた。 「……ルイさんを迎えに行きます」 「いいって、いいって。あの子だって一人になりたい時の一回や二回はあるでしょ。戻ってくるわよ」 「でも……っ! アンヘルの誰かはもうみんな……家族同然じゃないですか。家族が傷ついたままなのはその……嫌です……」  搾り出した声音に南は、んー、と悩んだようであった。 「私としてみれば、あの子にゃあの子の考えがあるから尊重はしたいんだけれどねー。でもま、赤緒さんに今回は甘えちゃうか。多分、河原のほうに行ったと思うわ。雨を凌げる場所でいじけてるんでしょ」 「南さんは……ルイさんに思うところはないんですか。だって、勝手に出て行っちゃうなんて……」  どこか問い詰めるような論調になってしまっていたが、南はきっぱりと言い放つ。 「ない! だって自慢の娘だもの。怒ったり、ちょっとくらいはいじけたりはするかもだけれど、でも絶対に……立ち直っては来るから。それを私は、信じているからね」 「信じる……」  親子の理想の関係性など、自分には分からない。親の記憶もなければ、子供の想いなんてもっと遠い。  ここ二、三年の記憶しか持たない自分では、ルイと南の関係を見知ったように口にすることも憚られていた。 「それはそうと……そろそろ焼き魚、返してくんない?」 「こ……これは皆さん揃うまでお預けですっ!」 「えーっ。赤緒さん、冷たいー」  どこかノリの軽い南に赤緒は当惑していた。  自分の娘なのに――いや、自分の娘だからこそか。  何故、何の心配もしないのだろう。ルイは、一度大きな傷跡を背負っているはずなのに。それでも彼女は前を向き、キョムへと抵抗していた。  もう二度と人機に乗らないと、そう思っていたって仕方ない出来事があったのに、ルイは誰にもそういう素振りは見せない。  それどころかさつきを鼓舞し、彼女を人機操主へと導いた。  その強さの源流が分からない。どうしてルイはいつでも強くあれるのか。 「……私にはない、強さなんだろうな……」  赤緒はそっと傘を差し、柊神社の石段を下り始めていた。  憮然と食堂でふんぞり返る南を発見し、青葉は声を投げるべきか憚られていた。 「……何だか不機嫌そう……」  当惑していると、不意に差した影が問いかける。 「何やってんだ? あ、黄坂じゃねぇか」  何でもないことのように話しかけた両兵に青葉はむっと不機嫌になった。 「両兵って……本当にデリカシーないよね」 「何がだよ。何やってんだ、腹減ってんのか? まだメシには早ぇぞ?」  対面に座った両兵に南は大きなため息を漏らす。 「……ねぇ。両。話しかけるなオーラって分からない?」 「知らねぇよ、ンなの」  青葉はおどおどしながらも、南へと質問を投げていた。 「何か……あったんですか?」 「あー、んー、まぁ、青葉ならいっか。ちょっとルイと行き違いがあってねー。ナナツーのメンテ担当サボっていたから、厳重注意したの。私たちは二人でようやく一人前のヘブンズだからね。一人でも怠ればそこまでなのよ、って。そうしたら、なんか……南なんて一生暇な回収業でもやってれば? とか澄ました顔で言うもんだから、なぁーによ! ちょっとやそっとじゃあんたと私の操主としての力量差は埋まんないのよ! って……捲し立てたら走って出てっちゃった……」  思わぬ出来事に青葉は当惑する。 「大変じゃないですか……。野犬とかに襲われて……」 「ないない、そりゃあないって。むしろ野犬がルイを怖がるわ。あの子にそういう心配って無縁でしょ」 「同感っちゃ同感だな。マセガキが野良犬程度にビビるかよ」  二人分の意見を呑み込みつつも、青葉は外を指差していた。 「すごい、豪雨ですよ……。風邪引いちゃう」 「引かない引かない。あの子が風邪引いたところなんて見たことない」  笑いながら手を払う南に、しかし青葉は気が気でなかった。 「あの……私っ、ちょっと見てきますね……! ルイのことが心配で……」 「お腹が空いたら帰ってくるわよ」  駆け出しかけた青葉の背にかかった声音に、思わず足を止めて声を張っていた。 「駄目ですよ……こういう些細な擦れ違いで……本当に大事な関係って、駄目になっちゃうんです……!」  食堂に反響した声音に二人がきょとんとする。青葉は遅れて恥じ入っていた。 「……と、思うんですけれど、その……」 「うし、分かった。黄坂、オレも行くわ」  立ち上がった両兵に南はぎょっとする。 「……あら珍し。両ってば何か悪いものでも食べた?」 「別に気紛れだよ、こんなもん。ただな……てめぇもてめぇでいじけてんじゃねぇって話だ。そういうの……何からしくねぇだろ。回収隊ヘブンズって吼えているてめぇらっぽくよ」 「私らっぽく、ねぇ……」 「青葉。ここ近辺で言や、雨を凌げる場所は多くねぇ。そこいらの小屋を片っ端から探すぞ」  傘を差し出した両兵に青葉もどこか茫然としていた。 「何か、変……。両兵ってだって、冷たいのに……」 「アホ。一応はモリビトの操主の代役務めるって言ってるヤツが、ミイラ取りがミイラになるんじゃ意味ねぇだろ。ここいらの地の利ならオレのほうがある。すぐに黄坂のガキ見つけて、メシにすっぞ」  ちらり、と両兵は南のほうを一瞥する。青葉もその視線の先を追っていたが、何事もなく両兵は歩み出ていた。 「……行くぞ」 「あ、うん……。でも、南さんとルイが、喧嘩なんてするって……ちょっと意外だったかも」 「あの二人だっていつだって以心伝心ってわけでもねぇってことかもな。まぁ、人の子なんだし、ケンカもすりゃ、それなりにこっぴどく燻ったりもすんだろ。だが、オレはあの二人が女々しくいじいじしてんのが、見てられねぇってだけなんだがな」 「……両兵って、やっぱりそこんところ、おかしいよ」 「うっせぇ。さっさと見つけんぞ。雨も……キツくなってきやがったからな」  スコールをもたらす垂れ込めた曇天を仰ぎ、二人は捜索の歩を進めていた。  前回だってそうだった。  今回だってそう。  ちょっとだけ食い違っただけ。少しだけ、思ったほどではなかっただけなのだ。  だが、自分と南の間柄では、そのちょっとした齟齬が、何か決定的な間違いになりそうで、ついつい逃げ出してしまっていた。  別段、大したことではない。  あの時だって、そう。  ――モリビトの操縦の勉強で忙しかったから忘れていた、そう言えばいいものを、自分はどこか食い下がっていた。  南に負けたくなかったわけではない。  ただその赴く先は一つ。 「……私は、自分に負けたくなかったんだ……」  青葉と張り合ってはいたが、それ以上に、こんな簡単に日常に支障を来たす、自分への叱咤があった。  だが当り散らすのも自分らしくないから、せめてもの抵抗で逃げ出していた。  何てことはない。どっちにしたって女々しいばかりだ。  降りしきる雨は、南米のスコールに比べれば随分と生易しく、傷を癒すのにはこんな程度では足りない。  こっぴどく風邪を引いて、後悔してもし切れないくらいに体調を崩せば、まだ反省できるものを、自分はその程度ではくしゃみの一つだって出やしない。  ただ止まない雨に、ルイは膝を抱えたまま、空を仰ぎ見ようとした、その時であった。 「――なぁーに、やってんだ、てめぇは」  不意打ち気味に視界に入った両兵の相貌に、驚嘆して立ち上がろうとして、互いに頭をぶつける。  よろめき、二人とも額を押さえて後ずさった。 「痛って……。どっかで見た銀髪が橋の下にいると思ったら、黄坂のガキじゃねぇか。何やってんだ、ったく……」 「……こっちの台詞……」  予想できなかったわけではない。橋の下に行けば、両兵がいるかもしれないことくらいは。  だが、いざ対面してみると言葉が全くと言っていいほど出なかった。  両兵は何でもないことのように、ルイの隣へと腰を下ろす。  そうやって何も感じていないかのように振る舞われるのが、実のところ一番癪に障るのだが、本人に言えたことは一回もない。  同じように隣に座り込んだルイに、両兵は、あ、と声にする。 「そういや、こういうの……前にもあったな。てめぇと黄坂がひっでぇケンカしてよ。覚えてるか?」  覚えているか、ではない。まさにその惨状を、自分は思い描いたところであったのだから。 「……知らない」 「そーかよ。オレは覚えてるぜ。青葉と一緒にてめぇを探しに行ったんだ。あいつ……野良犬に襲われてんじゃねぇかって、すげぇ焦ってたな。まー、オレも黄坂も、それはねぇよって言ったんだが」 「……そんなのあったなんて、覚えてない」  嘘だ。自分はまたどうでもいいところで虚勢を張る。  だがこうしていないと、いつかは崩れてしまいそうで。隣にいる両兵に、少しでも思いを悟られてしまうのが嫌で、こうやって言葉の壁で厚意を遮る。  両兵は曇天を仰ぎつつ、静かに嘆息をついていた。 「……ま、てめぇがちょっとばかし一人になりたい時もあんだろ。オレは別に干渉するつもりもないけれどよ、こういうのを見過ごせない、お節介が、どうやら今回もいたみたいだぜ?」 「お節介……?」  顎をしゃくった先にいたのは傘を差した赤緒であった。両兵と二人でいるところを見られた、と慌てて自分は立ち上がる。  平静を装った声音で、冷たくあしらっていた。 「……何の用?」 「いえ、その……小河原さん、南さんに頼まれて……?」 「いんや、偶然。だがまぁ、そろそろメシ時だろ? 神社に戻ろうぜ」 「あ、はい……。ルイさん、帰りましょう」 「……嫌。帰らない」  こんなところで強情を張ったって仕方ないのに、赤緒に両兵と居るところを見られただけで、自分はこのまま帰ってやるものか、と意固地になる。  赤緒は面持ちに寂しさを宿らせていた。 「……あの、こういうの、前にもあったって……南さんは仰っていました。でも、その時と今ではその……事情が違うはずでしょう? 私たちはトーキョーアンヘルで、それで掛け替えのない、家族のはずです」 「……何それ。何で赤緒が、青葉と同じことを……」  そこまで口にして、己の迂闊さを呪う前に、赤緒は呆然としていた。 「私が……青葉さんと?」  やってしまった、と後悔したその時には既に遅い。  両兵は赤緒の傘をひょいと引っ手繰る。 「この傘借りてくぜ」 「あっ……それ、ルイさんの分なのに……」 「知ンねぇよ。何だったら二人で相合傘してくりゃどうだ? 少しはお互いのことが分かるかもな」 「もうっ! 茶化さないでくださいよぉ……。小河原さんってばーっ!」  手を振ったその背中に赤緒の呼びかけも虚しく残響する。  どうやら彼女に残された手は自分を説得して帰る選択肢一つらしい。  赤緒はまごつきながら、問いかけていた。 「……あの、どうやったら、帰ってくれますか……?」 「……じゃあ、ちょっとだけ昔話に付き合って」 「昔話……」  どんと座り込み、隣の芝生を叩く。 「ちょっとだけ長くなるかも。南米の頃の話よ」 「あの……っ、それって一回だけ、南さんと喧嘩したって言う……」 「……知ってるのね。赤緒ってそういうところ、ちょっと性格悪いかも」  ぷいと視線を背けると赤緒は慌てて取り成していた。 「わっ……私は何も知りませんってばぁ……。一回喧嘩したって聞いただけで……」 「その喧嘩の原因は私のほうにあるのよ。モリビトの操主にどうしても成りたかったから、南とのメンテ担当を一回だけ怠っちゃって……それで決裂間際まで行ったの。ヘブンズ解消のね」 「あの……そんなに怒ることだったんですか? だって、南さんだってルイさんのことを考えて言ったんじゃ……」 「……かもね。でも結果論なのよ。私はそれで逃げ出した。最初で最後。操主が嫌になって逃げ出したのは。……ううん、操主が嫌だったんじゃないかも。私は、こんな私が嫌だったのね」 「ルイさん、自身が……?」 「そっ。どれだけ言い繕っても結局、私は青葉に劣っていたのが嫌だったし、そう思っている一方で、尊敬もしていたのが、余計に……。そういう、自分の中にあるもやもやした感情に、決着をつけられなかったのが、本当に嫌だった……。何で今までは悩みもしなかったことで悩んでいるだろうって」 「……私は、ルイさんはその……すごいと思います。だって、絶対に逃げないんですから。キョムと戦うことだって、危ないことだらけなのに、ルイさんは一度だって、逃げない……」 「逃げたその時の惨めさをよく知っているからよ。一回でも逃げれば、もうそこまで。でも向かい合えば、それは逃げじゃない」 「向かい合えば……」  ひょい、と赤緒の傘を携える。不意に話を打ち切られて、赤緒は困惑していた。 「る……ルイさん? えっと、昔話は……」 「ここまでよ。何やっているの、赤緒。ご飯が冷めちゃうでしょ」  何でもないことのように歩み始めたルイに赤緒は慌てて追いつく。 「ま、待ってくださいよぉ……っ! 私が風邪引いちゃう……」 「ミイラ取りがミイラに、ね。赤緒らしい」 「な……っ――! でも、ルイさんはその時、戻ったんですよね? どうやって……」 「それは教えてあげない。だって、赤緒に言う話じゃないもの」  そう、赤緒に言ってやるまでの話でもない。  これは、自分の――ちょっとした「やらかし」なのだから。  バラック小屋の隅っこで縮こまっているルイを、発見したのは青葉であった。 「あっ……ルイ……」 「よし。頭ぶん殴ってさっさと帰らせんぞ」  歩み出しかけた両兵と、青葉は慌てて制する。 「待ってってば! 両兵はここにいて! ……私が説得する」 「お前が……? まぁいいけれどよ。マセガキに言いくるめられるんじゃねぇぞ」 「大丈夫だから! ……ルイ」  顔を伏せていたルイが面を上げ、こちらを認める。 「……何」 「何って……ホラ、帰ろ? 雨も酷いし、みんなが心配してるよ?」 「みんなが心配しているわけないじゃない。そういう偽善者じみた言葉を吐くのだけは上手いのよね、青葉は」  うっ、と手痛いダメージを負ったが、青葉はうろたえない。 「でも……! 家族が一人でもいじけているのを、見て見ぬ振りはできないよ……。だって私たち、もうアンヘルの一員で……家族じゃない」 「家族……」 「うん、家族。南さんも多分、ルイのことが心配だったんだと思う。だから、もう帰ろうよ。ご飯冷めちゃうよ?」 「オイ! よく分かんねーけれどよ、オレはせっかくの貴重な人機の操主が、一人でも欠けちゃもったいねぇと思ってる」 「もうっ……! 両兵ってば言葉が選べないの?」 「うっせぇ! ……バカだからいい言葉浮かばねぇんだよ、ったく……。ただな! マセガキ! ……黄坂が待ってっぞ」  それだけ言って両兵は踵を返していた。  青葉からしてみれば焼け石に水の言葉であった。何とか取り成そうとしたところで、ルイは不意に立ち上がる。 「えっ……? ルイ?」 「……何やっているの、青葉。帰るわよ。ご飯が冷めちゃう」 「えっ……? えっ……?」  スコールの中を駆け出したルイに青葉が当惑しながら追いかける。 「ちょ、ちょっと! 待ってよ、ルイってばー!」  何がどうなったのか分からない。ただ、その背中を見送った両兵へと、青葉は追いついて問いかける。 「……何かしたの?」 「いんや。ただまぁ、いじけているヤツに、いじけんな、帰んぞってのは逆効果だろ。だったら、あいつらしい言葉に置き換えて言ってやりゃいいのさ」 「ルイらしい……。私、ルイのこと、まだ何にも分かってないんだね……」 「そりゃそうだろ。会ってまだ間もない相手のこと、分かっていたら逆にエスパーかよ。オレたちゃ、分かっているようで分かっていねぇのさ。家族って言ったってな」 「……うん、そう……。あれ? 両兵、今家族って……」 「言ってねぇ。置いてくぞ、青葉。最後に基地に戻ったヤツは今日の洗い場当番な」  走り出した両兵に青葉はうろたえつつも、もうっ、と声にする。 「両兵って、いっつもそうなんだから……っ!」  戻ってきて、何か気の利いた言葉を期待したわけでもない。  ましてや、同情など。  ただ、夕飯の席に着いていた南は、何でもないことのように問いかけていた。 「……気は済んだ?」 「……まだ」 「ルイさん……っ! あの、一応は戻って来てくれたんですけれどでも――」 「南。私って、変わった?」  出し抜けの質問に赤緒がまごついている間にも、南は返答する。 「いいえ。何も変わってないわ。あんたはあの頃からずっと……小憎たらしい、私の自慢の娘のままよ」  その言葉にルイは一つだけ首肯し、夕飯の席に着いていた。  状況を理解していない赤緒が疑問符を浮かべる間にも、ルイは促す。 「何をやっているの、赤緒。ご飯が冷めちゃうでしょ」 「えー……。じゃああの……っ! 用意しますから。……喧嘩しちゃ、駄目ですよ?」 「しない。もう、ね」 「そうね。もうしない」  二人の間に降り立った了承には小首を傾げながら、赤緒は台所へと向かっていた。  スコールの中を駆け抜けて来たらしいルイに、南はいくつか言葉を投げようとして、その全てが喉から出る前に霧散したのを感じていた。 「南、その……」  ルイの口から声が漏れる前に、南はきつく抱き留めていた。 「……馬鹿ルイ。でも……よかった」  何がよかったのかは、お互いに言葉にしない。しないほうがいい。  ルイの体温を感じつつ、南はその手を促していた。 「ホラ、来なさい。ご飯、冷めちゃうからさ」 「……うん」  大丈夫、もう、言葉は要らない。  ――自分たちの関係はきっと、ちょっとぬかるんだ泥道くらいで、ちょうどいい。

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