「――ヒトは、罪を被って生まれてきた、と我々は定義します」  教会に響き渡ったその声音にぼろを身に纏っていた信徒たちは、おおと声を上げていた。  どれもこれも、見渡せば些事なるもの。そう断じた金髪のシスターはその銀色の瞳を憂いに伏せる。  嘆かわしいこの世界に、一筋の赦しを乞うかのように。  あるいはもう終わりに近づいている世界への、秒読みの諦観そのもののように。 「あなた方は選ばれた。それは素晴らしいのです。私たちは、導くもの。答えを保留し続けるこの世界に、異を唱えるもの……」  信徒の一人が先走って駆け寄ろうとするのを、武装神父が押し留めていた。 「鎮まれ。シスタージェシカに触れることは許されない」  武装神父はそのまま信徒の頭部を踏みつけ、荒々しく蹴りつける。その様子に際してもシスターは頭を振っていた。 「この世界に投げられた命は、どれもこれも紛い物。真実、まかり通り成らぬもの。なればこそ、終わりを受け入れるのに心持ちが足りぬのです。さぁ、祈りたもう。私たちが真に目指すべき明日のために。蒙昧なる曇ったそのまなこを打ち壊す一撃を」  教会のステンドグラス越しに、巨神の影が現れる。その威容に信徒たちはめいめいに感嘆の息を発していた。 「……巨人……! 天を砕き、地を揺さぶる……」 「そう。この巨人に従うか否か。あなた方の是非は既に問われている。支配に抗うか、それとも是とするかの分水嶺。しかし、民にこそ、その判断は投げられているのです。さぁ、私と共に、別の世界へと――」 「――愚行だな」  その言葉と共に教会の扉が蹴破られる。荒々しい物腰と、そして提げた得物の物々しさに、信徒たちより短い悲鳴が上がった。 「凶徒……」 「そうと呼ばれる規定されるべき行動をした覚えもないのだが……まぁいいだろう。ここにいる者たち、よく集めたものだ。まぁ、ロストライフの恐怖から逃れた難民たちを押し込んだにしては上々。しかし、そこまで、だな。何なら、ステンドグラスの向こう側にいる巨人――いいや、人機《ダークシュナイガー》で無理やり言うことを聞かせるか? 神の使途を気取る者共よ」 「貴様ァッ! 神を愚弄する異教徒か!」  武装神父が歩み出て小銃で狙いをつける。緊迫した空気に信徒たちが怯え出すのを、シスターは祈りで掻き消そうとしていた。 「何と……暴力的な。何者なのです、あなたは」 「何者、と言うほどでもないかもしれんが……応じさせてもらうとすれば。――キョムの八将陣、シバ。それが名前だ」  黒い長髪を払った女の余裕に、シスターはキッと睨みつける。 「……どこかで聞いた風な名前を」 「偽名だと言うのならばお互い様だろう。シスタージェシカ。いいや、金髪に白銀の瞳。そしてその血続適性。こうして翳せば、アルファーはその力に呼応して、命の光を放つ」  シバの翳したアルファーの淡い光に、シスターは歯噛みしていた。 「……黙りなさい。信徒を騙そうと……」 「欺いてどうする? どうせ、貴様らに殺されるか、我々のロストライフに下るかの、どっちかの命だ。ならば、有効活用してやろうと言うのは、それも互いに言えぬ身であろう?」  こちらの敵意に、武装神父が弾丸を放っていた。シバの足元へと威嚇射撃が成され、次いで小銃を静かに構える。 「……次は当てる。邪教の徒め」  凄味を聞かせた武装神父の声音に、シバはふんと鼻を鳴らしていた。まるで、その意思そのものを侮蔑するかのように、銃弾の跳ねた床を踏みしだく。 「やれるものならばやってみるといい。後悔せずに済むぞ」 「……神のご意思と共に。放て」  一斉に銃撃がシバへと殺到したが、それらを相手は難なく掻い潜り、一挙に武装神父の懐へと潜り込んでいた。  その速度、まさしく神速の域。  抜刀したシバの挙動を武装神父は捉え切れず、翻った太刀の一閃を前に銃を握る指先を寸断されていく。  悲鳴が迸る中で、鮮血に彩られた教会より信徒たちが逃げ出そうとする。  シバは刀を振り払い、暴走しかけた信徒たちを押し留めていた。 「動くな。動けば首を断つ」  それが、威嚇でもましてや牽制でもなく、本当にそうなのだと、信徒たちは一瞬にして理解する。  武装神父の首筋にあてがわれた殺気の塊に、信徒たちは中てられたように声を鎮めていた。中には呼吸すら忘れている者さえもいる。  シバはどこか妖艶にさえも映る紫の瞳孔をシスターへと据えていた。  シスターは一歩後ずさり、声を振り絞る。 「……何故です。救いはここにこそあった」 「私は破壊者だからな。だから、お前たちの言う救いが、気に食わなかったのもあるのだ。それとも、人機に喰わせれば、それも王道か?」 「……黙りなさい。信じるものさえも持たない、邪教の女!」  その声音に呼応するかのように、ステンドグラスの向こうに封じられていた人機が暴風を伴わせて咆哮する。  牙を持つ四つ目の巨神の咆哮に信徒たちが身を沈めていた。 「……まさしく悪魔か……」 「ちゃんちゃらおかしいな。神を信奉するシスターが、悪鬼を使役するか」 「……あなたが言うのですか。邪なる瞳を持つ、東洋の魔女よ」 「武装に物を言わせた人間に言われることでもなかろう。さて、問答だ、シスタージェシカ、だったか。ここでお仲間の骸を打ち立てるか、それともその人機共々、我ら八将陣に下るか」  一拍の沈黙の流れた後に、シスターはフッと口元に笑みを刻んでいた。 「……どちらでも――ない! 打ち立てなさい! アルベリッヒレイン!」 《ダークシュナイガー》が吼え立て、全身に仕込んだ機銃を掃射する。武装神父や一部の信徒を巻き添えにしながら、教会そのものを粉砕する暴力の嵐にシスターは喜悦の笑みを湛えていた。 《ダークシュナイガー》の掌に抱かれ、神の使徒たるシスターは暴風の爆心地を見下ろしていた。  硝煙に煤けた風に、赤い灼熱を宵闇が纏う。  武装神父と信徒の一部は即死か。それは、とても喜ばしい、とシスターは微笑んでいた。 「苦しまずに死ねたのですね……」 《ダークシュナイガー》が膝を立てて翼を拡張し、闇夜に飛び立とうとするのを阻んだ影があった。黄色く輝く眼光を誇る疾駆が駆け込み、両刃を振るって《ダークシュナイガー》と打ち合う。 「……人機! 何故……」 「何故と言いたいのはこちらのほうだがな。《ダークシュナイガー》でまさか味方ごと撃つとは思っても見なかった」  咲いた言葉にシスターは打ち払ったはずの教会で今も息づくシバを発見する。  妖しく微笑んだ漆黒の少女は、黒の人機へと飛び乗っていた。  シスターは心底理解できないと頭を振る。 「……こうやって、争いの種を撒く。あなたたちのやっていることはこの世を際限のない地獄へと叩き込んでいるようなもの。だから、私のような存在がいる。あなたたちの野望を……打ち砕くために!」 『……どの口が言う。貴様も私も、人でなしには変わりないだろう』 「私は違う! 神の従順なる僕であった、この私は! シスタージェシカは!」 『話にならんな。行くぞ、《ブラックロンド》』  太刀を振り翳し、《ブラックロンド》と呼ばれた機体が跳ね上がる。シスターは舌打ち一つで《ダークシュナイガー》の格闘武装であるスプリガンハンズを振るわせていた。自分を――操主を守ることにかけてはこの人機は圧倒的だ。  武装の打ち合いを基点にして《ブラックロンド》が弾き返し、その重量を物ともせずに跳躍する。  軽業師めいた動きに、使い手か、とシスターはひとりごちる。 「……何なのです。あなたは。信徒たちは罪ありきとは言え、救われるべき対象でした。だと言うのに、やって来て! あなたは罪を清算するでもなく、殺した!」 『殺したのは貴様だろうに』 「黙りなさい! ああ……なんと邪悪な。これ以上喋れば、私も邪に堕ちてしまう……。ゆえに、ここで開く口もない、ガラクタと化しなさい!」 《ダークシュナイガー》が飛翔し、機銃の散弾を撒き散らす。それそのものが拒絶の咆哮だ。  粉砕の勢いを相手は受け流し、刃で斬り返して一時でさえも一部に留まらない。戦い慣れている、という確信にシスターは言葉を吐きつける。 「おやりなさい! 《ダークシュナイガー》! 我々の信じるべき、世界のために!」 『信じるべき世界? それは何だ? 我らキョムの提示する世界の形を拒絶して、何を得ようと言う』 「何を……ですって。恥を知りなさい、俗物! あなた方のやる蛮行で、こうして名もなき信徒たちはやって来た! 信じるべき神を殺され、こうして無辜の人々として、救われに来たと言うのに!」 『救われに、か。独善的……いや、もっと言えば盲信しているな。貴様らの言う、神の世界とは何だ? この世はそこまで、度し難い世界か?』 「穢れた唇で……これ以上私たちの提示する世界を、侮蔑するなーっ!」 《ダークシュナイガー》が眼光を滾らせ、シスターを頭部コックピットへと導く。  乗り込んだシスターは人機の青い血潮と感応し、感情の波をスプリガンハンズへと集約させるイメージを伴わせた。  スプリガンハンズを高く掲げた《ダークシュナイガー》が黄昏のエネルギーフィールドを身に纏う。 《ブラックロンド》が牽制のバルカン砲を放ちつつ、距離を取ろうとするのをすかさずシスターは加速した思惟を走らせていた。 「逃がさない……ファントム!」  回り込んだ《ダークシュナイガー》が《ブラックロンド》の退路を塞ぎ、一挙に放ったエネルギーの発露を相手へとぶつける。  それは、白銀の翼を顕現させる――。 「銀翼の――アンシーリーコート!」  怒号と轟音を拡散させ、攻撃が完遂される。  黄昏色のエネルギーフィールドの霧散は、必殺技の直撃を予見させたが、《ブラックロンド》は僅かにその中心軸より逸れていた。  ――即席のファントムを用い、直撃を逃れた。 「……運のいい……」 『運? そんなもので生き永らえている身ではないのでな。これでも八将陣を束ねる、リーダーだ』 「では何と言うのでしょう。その《ブラックロンド》、随分と苦しそうに映りますが」 《ブラックロンド》は直撃を逸れたとは言え、死に体だ。片腕を根元からもがれた形である。迸った青い血潮が動力系のケーブルを断ち切ったのが窺える。  確かめるように太刀を握り締めた《ブラックロンド》は、しかし諦めた様子もなく、切っ先を引き上げていた。 『……悪いが負ける気はない』 「それはこちらも同じ。……何なのです、あなたは。先ほどから、苛立たせる……」  この女が現れてから、頭痛が酷い。頭蓋をかち割るかのような激痛にシスターは顔をしかめていた。  何かを、脳髄を叩き割ってでも思い出そうとしかけている。だが、それを理性が全力で拒んでいた。  封じたはずの戒め。封印された己の枷。  何よりも、自分を押し包む鋼鉄の鎧が、そのような心配など要らぬのだと教えてくれる。  漆黒の悪魔、《ダークシュナイガー》。  翼を広げ、天を抱くその姿は、ヒトが想像し得る全ての悪魔の姿を網羅しているだろう。  闇夜に煌めく、赤い血のような眼差しに対して、《ブラックロンド》は逃げるでもなく、携えた刃を握り込んでいた。 「……解せぬのはそれも込み。あなた方がやることは侵略のはず。神の世界に赴く敬虔なる信徒を、踏み潰す道理はない」 『神の御許に、か……。悪いがそのような道理は、随分と前に蹴り飛ばしたのでね。あまり当てにはならないのは知っているんだ』 「では異教徒の女よ。あなたは何のために戦っているのです。煉獄の時を待つにしては、その身、穢れていると見えますが」 『……敬虔なるシスターの忠告はありがたく受け取っておく。だが、私はもう、後戻りはできない。ここで断つ』 《ブラックロンド》が全身の循環パイプを軋ませ、身を反り返させた。シスターは哄笑を吐き出し、《ダークシュナイガー》の全身武装を発露させる。 「やってみなさい! 罪の雨、アルベリッヒレイン!」  弾丸の豪雨に抱かれながら《ブラックロンド》は押し進む。その勢いが死なぬのを感じ取り、シスターはスプリガンハンズを払っていた。  ――アルベリッヒレインの出力を殺さず、そのままスプリガンハンズを基点として、超強力なエネルギーフィールドを展開。そのまま相手を圧死させる。それがアンシーリーコート。 《ダークシュナイガー》の遺伝子の奥底に刻まれた必殺技の発動には何の支障もない。加速し、シスターはスプリガンハンズを大きく振りかぶっていた。 「どうせなら塵さえも残さずに、消し去ってあげましょう。それがあなたの罪の贖い方!」 『やれるものならばやってみるといい』  弾丸を弾き落とすその正確無比な動きには舌を巻くが所詮はそこまで。  その次手であるアンシーリーコートを防御する手立てはあるまい。武装に纏いついた黄昏の輝きを、正義の鉄槌そのもののようにシスターは打ち下ろしていた。 《ブラックロンド》は塵芥に還る。致し方なし、と。  そう思っていた、その思惟に切り込んできた声があった。  ――なら、お前は何者だと言う。  ハッと、意識の糸を手繰り寄せたその一刹那の隙。瞬きほどもない、レイコンマの世界。  その隙を、まるで最初から予感していたかの如く、《ブラックロンド》の躯体が駆け抜けていた。  全ての現象が後れを取ったかのような錯覚を受けるほどの超加速状態。  そんな、一瞬の躊躇でさえも命取りになる空間で、《ブラックロンド》は全ての舞踏で、「正解」と「最短」を選び取る。  踏み込んだ一挙手一投足、一つでもまかり間違えればアルベリッヒレインの攻撃網に塞がれ、アンシーリーコートの勢いを前に掻き消されかねない、松明の足掻き。  その光が、その一瞬だけ眩く、生の光を湛えて燃え盛った。  闇の中に浮かぶ一条の光が《ダークシュナイガー》の頭蓋を打ち抜く。  眉間に叩き込まれた一閃を前に攻撃を撃ち損なった《ダークシュナイガー》が静かに項垂れた。  勝負はついていたのだ。  コックピットを割り、巨大なる刃がシスターの肩口を引き裂いている。  自分より滴る血潮に、ああ、と呻く。 「主よ……何と脆い身体を私にくださった……」 「――残念だが、それを与えたのは主ではない。貴様は、そうではないのだ」 《ブラックロンド》のコックピットブロックもアンシーリーコートの灼熱を前に溶解している。本当に、一拍の判断でさえも命取りの戦闘であったのだと再認識させられた。 「……あなたは、何……?」 「私は後始末を任せられていてな。八将陣マージャ。奴の後始末は度が過ぎている。グリム協会の一部が我らより離反。そして別勢力を打ち立てようとしていた。シスタージェシカ……いいや、シスターJ。メシェイル・イ・ハーンの出来損ないのコピーか」  紡がれた真名にシスターはようやく答えを得たかのように吐息をつく。 「……それが私の名……」 「命は預けられんが、名前くらいは最期に与えてやる。偽りの生より解き放たれよ、Jの傀儡よ」  ――メシェイル・イ・ハーン。  ようやく得た名前に通った血筋に、安堵の息が漏れていた。 「……何だ。私はただの、小娘だったのね……」 「……そう思えて死ねるのならば、そうするといい。シスター。安らかに」  悪魔の女が十字を切る。どうしてなのだろう。畏怖すべき、唾棄すべき行動のはずなのに。自分に向けて放たれたその行為に安心できたのは。 「……長い間、眠れない夜を過ごした気がする。遠いところから、蹄鉄の音が聞こえて、汽笛の呼び声に眠りを妨げられて……。ああ、でも本当。本当のお迎えの時には、音なんてまるで些細で……」  まるで、意味もなく。  そうやって、瞼を閉じて、また明日を信じる。  それが人間に与えられた、ただ一つの安息だと信じて。 「天におわします、我らの神よ……。迷える我らに、光を……」  握り締めた胸元の十字架は酷く不格好な枯れ枝で、まるで自分の信仰心そのもののよう。  きっと、自分は借り物の叡智と信奉で生きていただけなのだ。  でも、と黒の女を目にして、呼吸と大差ない声を発する。 「……それは、あなたも同じに見える……けれど」 「そうかな……。そうなのかも、しれないな……」  刀を提げた漆黒の少女の姿を網膜の裏に結び、シスターは永く深い眠りについていた。  ――ああ、何て、可哀想な、黒い小鳥。 「マージャの呼び寄せた災厄はおぞましいのう」  いつの間にか、合流していたヤオが強化兵を伴わせ後処理に入っていた。  元々、この国のロストライフ化を阻害する勢力として、危険視されていたカルト集団の排斥。何も難しい問題ではないはずだった。  そう、何も……。 「……元より、断つだけの禍根だった話だ」 「じゃが、あれもまた人であろうて。斬るのには躊躇いはあったのは見て取れる」  人? あんなものが、人であると言うのか。  ――だとすれば、存分に……神というものには吐き気を催す。 「……ドクターオーバーを名乗った人間の影も見え隠れする。正直、現状のキョムには……」 「じゃがそういう混沌を背負ってこそであろう? 黒の女よ」  ヤオの問いかけにシバはふんと鼻を鳴らし、手を振っていた。 「《ブラックロンド》の回収と後処理は頼む。我々の望む形でのロストライフ化以外は、全て敵だ」 「だが、それも狭い生き方じゃとて。お主はどう生きる?」  どうもこうもない。この身は、ただ煉獄の炎と混迷の闇に――。 「私は破壊者。立ちはだかる全てを砕く闇の覇者。シバだ」  それ以外の生き方などあるものか。何よりも――張り合いがない。  ヤオは満足したのか、それともその答えに退屈したのか、それ以上の言葉を投げては来なかった。  シバは互いに支え合うように砕けた二機の人機を睨む。  ――ともすれば、立場は逆であったかもしれないな。  そんな益体もない思考が脳裏を掠めたのも一瞬、シバは身を翻していた。  際限のない、宵闇の向こう側へと――。

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