砂礫を踏み締める感覚は作業用の《ナナツーウェイ》ならではで、下操主に付き物のストレスも高い。それでも、下操主席から一度として弱音を吐かないルイは素直に称賛できる、と南は差し入れのホットドックを頬張りながら考えていた。  ――はー、私ならお尻が痛いって理由でパスだわ。よく乗り回しの悪い《ナナツーウェイ》の下操主を買って出るわねー。この子、ひょっとしてマゾっ気があるのかしら。 「……ロクでもないこと考えてるでしょ」  言い当てられ、南は頭を振る。 「考えてない、考えてないわよー。我が娘ながら、アブノーマルな道に染まりそうなんて」 「ホント、ロクでもないよね、南って。上操主の周辺警戒、怠らないでよね」 「なっ……! 一端の口利いちゃって! あんただってこの間までこぉーんな小さなガキだったでしょうが!」 「人をいつまでも子供扱いしないで。南、索敵と現在地の割り出し」  不承ながら、南はポイントの電波を受信し、報告任務を果たす。 「はいはい。えっと……ポイントは13。濃霧だから、モリビトで戦う場合には警戒が必要かもね。それくらいかな」 「敵の割り出しを頼んだでしょ」 「ここまで来る敵っている? そういうの、ご苦労さんって言うのよ」  ルイは呆れ返り、ため息をついていた。 「南の基準に合わせていたら撃墜されちゃう」 「そーんな馬鹿なことあるもんですか。私たちは歴戦のヘブンズよ? 簡単にやられやしないわよ」 「……それって前振りとかじゃないわよね」  南が口笛を吹いて誤魔化すと、不意に熱源を関知していた。いや、これは正しくは熱源ではない。 「……ちょっと待って、ルイ。……ブルブラッドの反応、血塊炉が近いわ」  その一言でルイの戦闘本能は研ぎ澄まされる。 「どこ?」  作業用の《ナナツーウェイ》が武装を固め、牽制の構えを取る。防御陣は完璧のはず。この状態の自分たちに敵うものか。そう確信した南であったが、受信した血塊炉の位置があまりに低いことに着目していた。 「……崖下に一機だけ……。これは前時代の先行開発されたナナツーかもね。ルイ、攻撃姿勢から回収作業に入るわ。作業用アームを併用して、相手側の人機を引き上げる」 「了解。ワイヤーを射出して一応は接触回線でしょ」 「分かっているじゃない。さすがは私の娘っ」  南のおべっかは無視してルイは回線用のワイヤーを飛ばし、標的までの距離を概算する。おおよそとは言え、崖下にいる相手への警戒は怠らない。ルイはワイヤーに自身の命綱を引っかけていた。  このまま直下の目標まで一気に下る腹積もりである。強度を確かめた後、ルイは逡巡さえも挟まずに目標へと跳んでいた。  到達した途端、南の拡声器の声が発せられる。 『多分、中に仏さんがいるから。いつもの奴をやるのよー』  いつもの、と言われている礼節を果たす。合掌し「アーメン」と呟いてからルイはナナツーのキャノピー型コックピットの緊急射出ボタンに指をかけていた。  南の想定通り、何年前に死んだのかも分からない骸であったが、ルイはその遺骸が手にしている紙切れに目が行く。 「……紙切れ? ううん、これは……手紙?」 『ルイー。さっさと作業を終わらせましょ。霧が濃くなってきたわ。このままじゃ、古代人機が出て来れば格好の的になっちゃう。すぐにでも帰投するわよ』 「了解。ちょっと待っていて」  回収作業は既に手慣れている。血塊炉の固定器具を外し、使えそうな装甲版をピックアップして完全に人機の内蔵武装を外してから内側より爆破させる。型落ちの上に撃破された機体とは言え、人機には違いない。再利用されて軍部の戦力になるくらいならば、破壊してしまったほうが後々都合もいいのだ。  爆薬をセットし、いつもの作業の最終確認に至ってから、ルイは手の中にある手紙へと視線を落としていた。  丸まった一枚の手紙に何が書かれているのか、それを知る由もなく……。  文机の前で赤緒がうぅんと呻る。  それを物珍しそうにエルニィが観察していた。 「何してんの?」 「あっ、立花さん。実はその……私宛じゃないんですけれど、こういうものをいただきまして……」  赤緒より差し出されたのは手紙である。エルニィは大声で読み上げていた。 「なになに……親愛なるアンヘルの皆さま。特に、毎回我々を救ってくださる赤緒さんに捧げます。何分、ファンレターなんて書き慣れていないもので……」 「ちょ、ちょっと立花さん! 恥ずかしいじゃないですかぁ……」 「えっ、これって何? ファンレターって書いてあるけれど」  掲げたエルニィにごろ寝していた南が声をかける。 「自衛隊の方々からファンレターをもらったのよ。これまでの支援の感謝状みたいなものね。ま、アンヘルにはそうでなくとも、苦情の手紙やら、不幸の手紙やら、まー何から何まで届くんだけれど、一個一個読んでいる暇もないのよ。でも、今回ばっかりは赤緒さんの普段の行いに関する感謝だから、赤緒さん本人が返事を書きたいって言ってくれてね」 「それで、その、いざ書こうと思うと、何も思い浮かばなくって……」  愛想笑いで誤魔化すが、一文字も書けないのは実質大問題だ。返事を書くと息巻いてこれでは少し情けない。しゅんとした赤緒にエルニィが提案する。 「じゃ、ボクも書こうかな。ホラ、アンヘルは赤緒だけじゃないじゃん! ボクが書いてもきっと、喜ぶはずだよ!」 「た、立花さん……。お願いできますか?」 「任せて! ファンレターってことは、あれだよね? 溢れる感謝に対しての言葉だから……恋文に近いのかな?」  小首を傾げたエルニィに赤緒はぼっと赤面する。 「こ、恋文……ですか」 「えーっ、何照れてんの、赤緒ってば。ひょっとしてラブレターとか書いたことないクチ?」  赤緒は今までの人生経験において、恋文の無縁さを噛み締める。もらったこともなければ書いたこともない。 「……立花さんは、あるんですか?」 「まぁね。研究所の助手の子供たちから何回かもらったよ。博士大好きってね! かわいいでしょ?」 「は、はぁ……」  それはどこか恋文とは違うのではないかと言おうとしたが、野暮なことは言うまいと控えた。 「まぁ、一人でも多く書いてくれると助かるわ。私が書くと、何でだか喧嘩腰だって言われちゃうのよねー。何でだろ」  南の素朴な疑問にエルニィが笑いかける。 「そりゃ、南はそうじゃん。国語苦手だったでしょ」 「むっ……これでも三か国語くらいは喋れるのよ? 優秀じゃない」 「遅れてるなー。ボクなら既存言語のほとんどを操れるのに」  二人の間で静かに火花が散る。思ったよりも高レベルな諍いに赤緒はあわあわと割って入っていた。 「ふ、二人とも! 今は何か国語喋れるとかじゃなくって……」 「あー、そうだった。恋文だっけ? ……そもそも想い人以外に恋文っておかしくない?」 「まぁ、技術としてはそれに近いってことよ。相手のことを想って書くんですもの。それなりに配慮が必要なのよ」 「配慮ねぇ……。こういう時、国語が得意そうな人間を引き入れるのはどう?」  エルニィが早速立ち上がり、台所へと向かっていった。その背中を見送り、赤緒は南へと耳打ちする。 「あの、いいんでしょうか? 元々は私の仕事のはずなんですけれど……」 「いいんじゃない? エルニィにだって、自衛隊のみんなは感謝してるでしょ。アンヘルの一員なんだし」 「それは、そうなんですが……」  改めてもらったファンレターを眺める。こうして再確認すると、どうにも自分一人の力だけで与えられた代物ではないのは窺えた。  エルニィに、ルイ。さつきとメルJ、それに南も。全員の力だろう。それを代表して自分が書くのもどうかとも思うのだ。だから、エルニィの提案は素直に喜ぶべきと言えばそうなのだが。 「……煮え切らないって顔してるわね」 「ええ、ちょっと……。そもそも手紙って、案外もらう機会が少ないですよね。私、人生で初めてもらいました」 「ま、私だってあんまりもらった記憶はないわよ。請求書とかはよくもらうけれどね」  あはは、と笑い話にする南だが、やっぱり笑えない。赤緒はどうするべきか、と思案しているとエルニィが引き連れてきたのは二人であった。 「ルイさんと……さつきちゃん?」 「うんっ! さつきはこの国の生粋の生まれでしょ? 国語は得意かなって思って! あとルイは……何で来たんだっけ?」 「……一人でも多いほうが妙案も出るって話でしょ。自称天才メカニックはこれだから」 「むかっ……。じゃあ書いてもらおうじゃん! 題して、アンヘル恋文大会!」  題されて、赤緒はまごついてしまう。 「あの……立花さん? そういう催しではないはずなんですけれど……」 「えー、でも結局採用する手紙は一通なんでしょ? だったら、競ったほうがいいものができそうじゃん」  エルニィの当惑に赤緒は言葉を彷徨わせてしまう。自分一人で渋面を作っているよりかはマシかもしれないが、それでも戦力を見るに心許ない。  さつきはどこか困惑気味であるし、ルイはいつも通りと言うべきか、涼しい面持ちでこちらに視線をやっている。  南はせんべいを頬張りながら促していた。 「いいんじゃないの。みんなで書いたほうがきっといいものができあがるわ。楽しみにしてるからよろしくー」  南は完全に競争から逃れようとしている。エルニィも南にまで課すことはしないらしい。 「ルールは簡単。一番情熱的な恋文を書いた人が優勝! はい、はじめっ!」  各々の前に手紙が差し出され、赤緒は無駄に緊張してしまう。さつきは、と窺うと、彼女はなんと万年筆を掴んでいた。 「さつきちゃん……ボールペンじゃないんだ……」 「えっ……、はい。こういうのは万年筆でしっかりと、心を込めて返さないといけないって、旅館で教えられましたので」  そうだ、さつきには旅館での接客経験がある。クレームもあればこのようなファンレターも思っているよりも身近だったかもしれない。これは想定していたよりも充分なものができあがりそうである。  負けじと赤緒はボールペン片手に文面を睨んだが、やはりと言うべきか、書き出しさえも浮かんでくれない。 「えっと……親愛なる、とか季語? とか使わないといけないんでしたっけ?」 「こういう手紙に決まりごとはないと思います。ただ自分の想いがしたためられれば、きっといいものになるかと」  さつきは手慣れているのか、つらつらと書き上げていく。赤緒は圧倒されるものを感じつつ、ここでは一番を目指さなければ、と肩に力を入れていた。  エルニィは、と言うと何とも考えていないのか、筆自体は進んでいるものの、どこか珍妙な日本語の羅列であった。 「……立花さん。何でところどころ英語の綴りが混じっているんですか? ファンレターくれてサンキューとか」 「えっ、だってボクの国の母国語は英語じゃん。それで返すもんじゃないの?」 「でも日本語と混じってますよ?」 「そりゃ、日本人の血も混じっているからね。ボクという人間を構成するのに、こんな感じになっちゃうのは仕方ないでしょ」  仕方ないのだろうか。赤緒はあまりにも自由が過ぎるとこういう公の文章ではよくないのではないか、とより頭を悩ませてしまう。 「えっと……初夏の訪れを……とか?」  書きながら他のメンバーを窺うと、迷っているのは自分ばかりのようだ。意外であったのは、ルイが真面目に書いていることである。こういう場で、ルイが素っ頓狂な行動に出ず、真面目なのは珍しく思えていた。 「ルイさん……慣れているんですか?」  途端、ルイの筆が止まる。どうしてだか、彼女は困惑しているようであった。 「……慣れているとおかしい?」  どこか凄みを利かせた声音に赤緒は慌てて否定する。 「い、いえっ! そういうわけでは……っ」 「ほい。書けたよー。審査員は南っ!」  早速、書き上げたエルニィが南へと手渡す。当の南はせんべいを頬張っていたために、反応が遅れていた。 「私が審査員? 何で?」 「だって南が一番大人じゃん。こういうの書き慣れてるんでしょ?」 「あのねー、私が書き慣れているのは請求書だとか領収書だとかで、こういう公の文章は大体、友次さんに……」 「いーからっ! 南の審査基準で判断してよ。日本人じゃん」 「……ま、そう言われちゃうと遠慮する理由もないんだけれど。……でも、何これ。エルニィ、あんたこれ英語混じってるじゃない」 「だって母国語だもん」  南は赤いバツ印を手紙に書き加えていた。 「ファンレターなんだから、日本語で返してあげなさいよ。ふざけていると思われるわよ」 「ふざけてないもん! ボクの精一杯!」 「それでも、公の文章なんだからさー。考えなさいよ、あんた」 「あの……できあがりました」  さつきがおずおずと挙手する。南が、どれどれと検分した。エルニィも加わっている。  途端、彼女らの面持ちが渋くなった。 「あの……さつきちゃん? これ、おじいちゃんが書いたの?」 「すっごく難しい言葉が並んでいるし……。何だか業務的って感じだよね」 「えっ、駄目なんですか? ……旅館ではそういう風に書けってよく言われていたので……」  なるほど、と南が得心する。 「ある意味ではマニュアルがあったわけだ。でも、これじゃ硬過ぎてファンレター向きの返信じゃないわねぇ……」 「何だか老人くさいよねぇ」  二人分の酷評にさつきが涙目になってしまう。 「……老人くさい……ですか」 「あー、泣かないで! 大丈夫! 公の文章として見れば、これで百点だから!」 「そうそう! ちょっと老練しているくらいがちょうどいいって! ホラ、これから先、どういう手紙が来るか分からないじゃん!」  フォローになっているのかなっていないのか分からない言葉にさつきはしゅんとする。  赤緒は一文字も書けないまま、嘆息をつく。どうやら結構厳しい採点らしい。これは少しばかり考えなければ、と思っていた矢先であった。 「できた。南、はい」  ルイが完成した手紙を差し出す。南とエルニィ、それにさつきが一斉にその文面を見据えていた。  やがて、全員の顔に驚愕が宿る。 「……ルイ。あんたいつから文豪になったの?」 「これ、結構いい線行ってるんじゃない? 手紙の返しとしてはパーフェクトだよ……。まさかルイにこんな才能があったなんて」 「私も、そう思います。ルイさん、すごい……」  全員分の称賛を受けてもルイはクールに振る舞い、立ち上がっていた。 「じゃあこれでいいわよね。私、用事があるから」 「よっし! ルイので採用! いやはや、疲れた疲れた」 「他人の文章読むのって参考になるなぁ」 「私も……マニュアルじゃない文章を頑張らないと」  各々の感想を交え、お開きになる大会に、赤緒は困惑する。 「えっ……えっ。あのー、私のは?」 「いや、無理だよ、赤緒。これは超えられない」 「そうねー。赤緒さんには悪いけれど、ルイのレベルを超えるのはちょっと無理だと思うわ」 「私も……。ちょっとやそっとの技術でこれを超えるのは難しいと思います」  全員分の否定を受け、赤緒はそんなぁ、と項垂れる。 「私のファンレターですよ?」 「いや、でもこれで完璧なんだもん。ねぇ、エルニィ」 「まぁねー。赤緒、勝てる自信ある? こんなのなんだけれど」  赤緒は文面を隈なく精査する。しかし読めば読むほどに、どうしたってこれには勝てないような気がしていた。 「う、上手い……」 「だよねー。だから赤緒はまぁ、無理せずってことで」 「これから向こうさんへの文面はルイに頼もうかしら。いつまでも友次さんに頼っているといずれ怒られそうだし。ねぇ、ルイ? って、もういないし……。あの子ってば勝手ねぇ」  立ち去ったルイを他所に全員が手紙を激賞する。赤緒も悔しいながらに認めるしかなかった。  ――だが、とふと疑問が過る。 「……ルイさん。ちょっと前に日本に来て、まだ常識も怪しいのに、何で手紙だけは、こんなに立派に……?」  その疑念に首を傾げているのは赤緒だけのようで、他の三人は満足いっているようであった。  日本に来たのはトーキョーアンヘル設立と、そして《モリビト2号》の操主として、キョムに対抗するため。  それが大義名分であり、自分の全てであるはずであった。  だが、とルイは枕の下に隠していた古びた便箋を取り出す。かつて、南米にて型落ちのナナツーの操主が最後の最後まで、その手に掴んでいたものであった。  達筆な文面と、そして語られる言葉の数々は、残していった最愛の人への最後の想いである。  ルイは何度も、何度も、擦り切れるまでそれを読んでいた。  寝る前にはその手紙を読むのが日課になっていたほどだ。手紙一つに、人間は自分の魂を預けられる――それを理解したのはこの手紙があったからである。 「……この手紙を届けるべき人は、もうきっと、いないのよね……」  日本語で書かれているということは最初期のアンヘルメンバーである可能性が高い。しかし、何度か南米のアンヘルで探りを入れたが、それらしい人物には結局会うことはできなかった。  もう絶対に届くことのない想い。しかしながら、時を越え世代を超えて、誰かに届けるべきとして綴られた、最愛の人への手紙。  ルイはふと、便箋を手に取っていた。  綴ろうとするのはいつもの「あの人」への恋文。  きっと、「彼」は手紙なんて嫌うだろう。そんな面倒なことをやるくらいなら、本音でぶつかったほうがいいと言うに決まっている。  分かっていても、どうしても書いてしまう。  それはこの手紙の主の後押しが自然とあったのかもしれない。  最愛の人に捧ぐ、最愛の言葉の数々。星の数ほどの言葉は内側にあれど、それでも言いたいことは一ミリだって伝わりはしない。  それを今日も模索して、それでも書き終えられなくて、結局はゴミ箱にバラバラに千切り捨ててしまう。  嘆息をついて、ルイは布団の上に寝転がった。枕に顔を埋め、ぼそりと口にする。 「想いを伝えるって……簡単じゃないのね。いつの時代でも」

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