離れていく。空だ。遥かなる青空。その距離を埋めようと手を伸ばして、同期した鋼鉄の腕が空を掻く。  あ、と一呼吸吐いた時には、断崖から突き落とされた機体は地上へと激突していた。背筋にかかる衝撃と激痛。脊髄が砕けたのかと思わせられるような電撃的な爆音に両兵はしばらく無音の状態を漂っていた。  鼓膜が言うことを聞いてくれない。唇から何か、意味のある言葉を紡ごうとしても、まるで全ての言葉を見失ってしまったかのように何の声も出なかった。  あるのはただの茫漠とした死の感触と、そして色濃い敗北。  ああ、と両兵は最後に見た景色を思い返す。  鍵穴の形状を模した敵――古代人機の遠距離武装、シューターによって愛機、《モリビト2号》は成す術もなく中破、それだけならばまだよかった。  弾薬を装填して反撃に転じようとして、その弾倉が破裂したのだ。  恐らくは相手の攻撃による誘爆。片腕を失った形の《モリビト2号》は踏ん張るよりも押し切られてしまった。  敵陣に突っ込むことも叶わず、《モリビト2号》は崖より墜落。  もっと言うのならば撃墜の憂き目であった。  両兵は暫し、意識の表層を撫でるような感覚を味わった後、自分の五体がまだ繋がっていることを確認した。  ――ああ、まだ生きている。  その感慨と共に身を起こそうとして、両兵は片腕の付け根に激痛を覚えた。 「……折れたか外れたか」  いずれにせよ、左肩が上がらない。これでは《モリビト2号》の上操主は務まらないだろう。  両兵は《モリビト2号》のアイサイトより覗く常夏の陽射しを浴びていた。  奇跡的にコックピットに大きな損傷はない。だが、肝心要の機体が動くかどうかだろう。  シートベルトを外し、外の様子を窺いにかかる。  どうやら落ちたのは荒涼とした大地であったらしい。粉塵が舞い上がっており、咳払いする。  それでもスコールでぬかるんだお陰か、泥であったのが幸いした。  これが岩石であったのならば、モリビトの装甲でも持たなかったであろう。  じぃ、と両兵は《モリビト2号》の眼窩を睨む。  何度だってこの機体には振り回されたクチだ。操主になると決めた時も、この機体の持つ性能と可能性に魅せられた部分も大きい。  しかし、と両兵はモリビトへと語りかける。 「てめぇもツいてねぇな。荒っぽい使い方に慣れちまってる」 「そうならないために、私たち操主がいるんだ」  不意に聞こえてきた声の主はモリビトにかかった泥をスコップで払っていた。汗を拭った相手に両兵は怪訝そうにする。 「オヤジ。いつから起きてたんだよ」 「下操主はまだマシだった。ブーストを焚いて衝撃を減殺。上までは気が回らなくってな。すまなかった」 「いいさ、別に。オレ、身体だけは頑丈だからよ」 「……その割には片腕が上がっていないようだが」 「気合で何とかすらぁ。よか、オヤジ。モリビト、動くのか?」 「再起動までの時間は大体一時間半という試算が出た。通信機も使えるが、何分、場所が悪い。見つけてくれるまで見積もっても三時間はかかるだろうな」 「三時間か。ま、見つけてもらえるだけ御の字と思うさ」  少なくともここで行き倒れることはなさそうだ。両兵はコックピットに戻りかけて、父親――現太の言葉を背中に受けていた。 「両兵。今日は素振り何回した?」 「あン? 今聞くことか? それ」 「モリビトの上操主には格闘技術が求められる」 「分かってンよ。心配しなくても、そのうちオヤジは追い越すさ」 「……そうか。それは楽しみだ。だがたまには、な。私も剣を振るわなければ鈍ってしまう」  その言葉に宿った何物かに、両兵は習い性の神経で飛び退っていた。先ほどまで首があった空間を鞘に納めた形の剣が掻っ切る。  まさか、打ってくるとは思いも寄らない。  両兵は咄嗟に木の棒を拾い上げていた。 「……何の真似だ? 妙なところでも打ったのか?」 「まさか。両兵、私は昔、仙人に会ったことがある」  突然の話の転換に胡乱そうな目を寄越す。 「ンだって? 仙人?」 「その仙人はこう言っていた。自分は鬼に行き遭った気分だった、と。人間、どういう理屈や信念で魔道に堕ちるかは分からない。剣は、振るいどころを間違えれば大切なものを失う。覚えておくといい」 「……オヤジはその仙人の話、信じたのかよ」  問いかけに現太は頭を振る。 「信じる、信じないじゃなかった。ピンと来ないかもしれないが、戦時中と言うのはヒトの感覚が麻痺する。人間として当たり前の行動が真っ先に排除され、そして浮かんでくるのは鬼畜の所業だ。相手を如何に効率よく殺し、どれだけの敵を瞬く間に斬りさばくか。……存外、戦場の判断と言うのは二極化していてね。人は、殺すか死ぬかのどちらかしかない」 「珍しいじゃんか。オヤジがお喋りなんてよ」  皮肉に、現太はフッと笑みを返した。 「……たまには息子とも話しておかなければな。モリビトの操主なのだから」 「そのお喋りの延長が……これかよ」  現太は特別な戦場に赴く際、刀を所持する。それは《モリビト2号》による古代人機討伐任務も例外ではない。  古代人機への対処は命のやり取りなのだ。  いつの間にか忘れそうになっているが、相手はこちらを殺すつもりで来ている。ならば、殺し返すのが道理。  しかし、敵にこちらの倫理観や道徳観など通用するのか、全てが不明な相手である。  そんな存在を相手取って、無事で済むだけでも随分と奇跡だ。 「両兵。まだお前には剣は早いな」  現太が投げて寄越したのは木刀であった。木の棒よりかはまだ心得のある武器。 「……何で男二人、こんな最悪のコンディションの中、打ち合わなきゃならねぇんだよ」 「打ち合いの場所は選べないものだ。いつ何時でも剣は取れるようにしておいたほうがいい」 「そうか、よッ!」  先手必勝とばかりに両兵は駆け出す。目標とするのは現太から見て右脇。下段より振るい上げた剣筋を、相手は鞘で受け止めた。しかし、それはこちらの本懐でもある。  即座に浴びせ蹴りによる一撃を与えようとする。  現太はまだ人機操主として一線とは言えそれなりに高齢。咄嗟の判断は間に合わないと踏んだのである。  ――だが、そのような甘い目論見は見事に外れた。  現太は飛び退り際、返した刀の太刀筋で両兵の足を殴打する。  こちらが力を入れていた分、脛へと命中した一撃に両兵の行動が一拍遅れる。  それを逃すはずもない。現太は正眼に構えた剣をそのまま打ち下ろした。木刀で払い上げたのは野生の本能。  互いに退く形となり、両兵は肩で息をした。 「……本気かよ」 「本気でなくって何が打ち合いだ? 両兵、人機操主に、気の緩みは許されないぞ」 「諭されなくったって分かってらぁ。モリビトだって、どんだけ飾り立てたって兵器だろ? そりゃ、一瞬だって気を緩めりゃ……」 「人機は兵器、か。そういうことを言われると、私も立つ瀬がない。そうは……思いたくないんだ」  その言葉に両兵は疑問符を挟む。 「何でだよ? どう考えたって兵器だろうが。銃火器もついてるし、何よりもこんな性能。そこいらの大国なんざ裸足で逃げ出すぜ?」  現太が剣を下ろす。瞼を伏せ、静かに口にしていた。 「私はね……人機がいつか誰かの役に立てるように……そう思って開発に打ち込んできた。操主になったのもそのためだ。元々は人間の可能性を拡張する機体、才能機、と呼ばれていたからね」 「それ、昔ン話だろ? 今は違う」 「……そう、今は違う。今、は……」  兵器だ。そうに違いないはずなのに。  現太の瞳に落ちた暗い影に両兵は言葉を継げなかった。人機は戦いの道具、古代人機を倒すための人類の礎――。  どうとでも言い換えられるが、肝心なのは「人間がどう扱うか」なのだろう。  現太は人機に見ているものが自分とは違う。  だが自分は戦う以外にないと思い込んでいる。《モリビト2号》は何のために、今まで歴戦を勝ち抜いてきたというのか。  全ては勝利の末に待つ平和を勝ち取るためだ。勝利者の存在は、同時に敗者の存在を浮き彫りにさせる。  モリビトがどこの資金繰りを得て開発援助されているのかは自分にまでは降りてこないが、津崎静花を名乗る女には、常々胡散臭さを感じていた。  何かを計略する人間の双眸には必ず何かが映るもの。  静花の抱えている何かはこちらが窺い知ろうとすれば呑み込まれる深さであった。  ゆえに、誰も彼女には逆らえないのであるが。 「……両兵。もう一発、打ち合おう。剣には人の心が宿る。その人間が何を考え、何のために生きているのか……その全てと言ってもいいものが。だが、人間の中にはそれを巧みに隠し、そして欺いて生きていこうとする者もいる。……無論、それは間違いではない。間違いではないが、両兵、それを悲しいとは、思えないか?」  問いかけた眼差しに両兵は真っ直ぐに応じていた。 「分かんねぇよ、ンなの。どうするかなんて人間次第だし、オレだっていつかはビビッてモリビトを降りたいだとか……言い出すかもしれねぇ。それでも、どっかで思いたいんだろうな。人間、捨てたもんじゃねぇ、って」  フッと笑みを刻み、現太は太刀を構える。両兵も下段に剣先を携えていた。  お互いに一瞬の沈黙の後に駆け出す。  相手にどのような思惑があれ、どのような過去があれ、関係がない。  今、この一刹那こそ、自分の持ち得る全てだと思い知る――。  入った太刀の音の鮮明さに、夢の底に沈んでいた意識が引き上げられた。  視野に入ったのは橋の下。  またここで眠ってしまっていたか、と両兵は後頭部を掻く。 「寝入っちまってたか。……にしても、あの夢か」  数度目の古代人機との会敵で一番手痛いダメージを負った時だ。あの時、どうして現太は自分に打ち合いを要求したのだろう。今でも答えは出ない。戦いだけではないのだと諭したかったのだろうか。  あるいは、自分の弱さに向き合えと、叱咤していたのか。  いずれにせよ、もう過ぎたこと。どれほどに追いかけても、絶対にこの手には掴ませてくれない。 「……得たものなんて、あったのか?」  拳を握り締める。  この手は破壊者の手だと勝手に思い込んでいた。  古代人機を破壊する者の手、戦い、そしてその末に羅刹へと堕ちる手。――そして、あの黒い男と同じ者へと、成り果てかねない手。  誰かの手を引くのに、この手はもう汚れているのだ。  だから、独りでよかった。孤独なら、誰も傷つけないで済むから。  だが、ヒトは孤独に慣れることはできても、勝つことはできないのだ。それはこの数週間でよく分かった。  赤緒たちトーキョーアンヘルのメンバーとの絆。それはただの破壊者では得られなかったものである。  そして、南米に残してきた青葉との縁も――。  両兵は手を伸ばす。  あの日、憎々しいまでの晴天の下、断崖より落ちた手。必死に空へと伸ばそうとした指先。  不思議なものだ。  今は、この手を救いに使えるなんて。  ――救い? 何を世迷言を。貴様も、俺と同じ手だ。  黒将の声が脳裏を掠める。両兵はその声へと強く言い返していた。 「……みんな守るとまでは言わねぇよ。そこまで傲慢でもないからな。だがよ、この手はてめぇとは違う。それだけはハッキリしてるぜ」  壊すだけの手じゃない。  きっと、この手は何か別の、未来を描くために――。

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