「……で、戦国時代ってのはそもそもの始まりは守護大名が……」 「あの……ジュリ先生」  おずおずと手を挙げた赤緒に、黒板を指示棒で突く赤髪の女性が振り返る。 「どうした? 赤緒」 「いえ、その……。純粋に疑問なんですけれど……」 「えっ? 何が分からない? 年号から覚えるのならまぁ、ゴロ合わせね。いい国作ろう、鎌倉幕府とか、そういうのピンと来ない感じ?」 「いえ、一番ピンと来ないのは……」  赤緒は自分の周囲を見渡す。自分と教師であるジュリ以外、誰もいない教室であった。しんと静まり返った校内でジュリが続けようとする。 「何が分からない? 例えば、徳川家の将軍の覚え方は……」 「いえっ……そういうことではなく……。そもそも、あんな戦いをしておいて、こう……教えを乞うのがよく分かんないって言うか……」  笑いながら誤魔化そうとすると、ジュリは腰に手を当てて憮然とした。 「人機で戦ったら、そいつとは戦場以外じゃもう話したくない?」 「そんな……っ! そんな思考回路じゃありませんっ!」  机を叩いて言い返した赤緒をジュリは難なくかわす。こちらの怒りなどまるで意に介していないように。 「じゃ、あんたはとにかくこの補習を抜けられるまで、勉強すること! それがこっちの勤めでもあるからね」  赤緒は不承ながらに食い下がる。 「……先生はキョムでしょう?」 「だったら?」 「私はトーキョーアンヘルの! モリビトの操主ですよ?」 「だから?」  まるでのれんに腕押し。これでは埒が明かないと、赤緒は本題に切り込んでいた。 「……敵に教わるなんて……」 「でも、私はこの学校で歴史の授業を受け持っているし、もっと言えばあんたの担任。出席日数が足りなくって、中間テストで赤点取った人間が言えた義理?」  うっ、と赤緒は座り込む。それを言われれば立つ瀬もない。  五郎からも、勉学を優先するように、と厳しく言われてきたところだ。  中間テストの赤点は保護者代わりの五郎からしてみれば、まぁなんてこと! と驚嘆するほどであったらしい。 「……そりゃ、私は抜けているかもしれませんけれど……」 「抜けてるね。主に基礎学力が。なに? どれも三十点台って。本当に何にもしてこなかったんだね、赤緒は」 「……軽々しく下の名前で呼ばないでくださいよ」  頬をむくれさせ、先ほどからの懸念事項を言ってのける。  相手は教鞭を肩に担ぎ、後頭部を掻いた。 「そうは言ってもねぇ。私は大概の生徒は下で呼んでいるし。今さら余所余所しいじゃない?」 「……余所余所しくたって。だって、まともな先生じゃないんでしょう?」  ぷいと視線を背けた赤緒にジュリは、何それと吹き出す。 「まともじゃない先生には教えを乞いたくありませんって? 赤点が言えたもんじゃないでしょ。それに、あんたはそうじゃなくっても、抜けが多い!」  ずびし、と指されて赤緒は肩をびくつかせる。 「な、何がです……?」 「出席日数も、あんた本当にマジメ? って言うくらい少ないし、それにどの成績見ても抜きん出たものが一個もない。あんたの友達やってる漫画家志望とお嬢のほうがよっぽどマシよ」 「……な、マキちゃんたちのことを引き合いに出さないでくださいよ。ずるいです……」  ジュリは教材を畳み、赤緒を切れ長の瞳で見据える。 「赤緒。あんた、何になりたいの?」 「……何にって……」 「進路相談。この際だから聞いてあげる」 「何だってジュリ先生に……」 「担任だし。それにあんただけだよ? 進路希望出してないの」 「それは……柊神社の巫女としての仕事が……」 「学生の本分は勉強。保護者の神主さんに電話したっていいんだからね」  有無を言わせぬ言葉振りに赤緒は辟易する。 「……そんなの、ずるいじゃないですか」 「ずるくない。これは正当なやり方。人機で戦うよりもよっぽどまともなはず。赤緒、真面目に聞いておくけれど、あんた何になりたいの?」 「何に……」  そう改めて聞かれると何になりたいのだろう。自分は、とこれまでの人生を反芻する。  柊神社で拾われ、五郎に家事全般を教わり、そして学校に通っている。  その裏では、アンヘルの一員として――何よりも血続として、人機《モリビト2号》の操主を務めている。  だが、何になりたいのか、など誰にも聞かれたことはなかった。  五郎が急かしてくることもなかったし、他の誰だって自分にこの先どうしたいのか、は聞いてこなかったのだ。 「……具体例を出してあげようか。あんたの友達は、漫画家志望がいるわね?」 「あ、はい。マキちゃんは……」 「その子は私に、ネーム? って言うの? 漫画の設計資料みたいなの出してきたわよ。この間の進路相談で」  まさか、親友がそこまでやっているなど思いも寄らない。赤緒は呆然とその事実を聞いていた。 「……マキちゃんが……」 「もう一人のお嬢は自分の家業を継ぐって言って、それも具体的な話を出してきたわ。お花のことはよくは分からないけれど、どこの展覧会に出すだとか、何歳までにはこういう資格を取りたいってね。十六辺りで、自分のこれからを決めていないのはあんたくらいよ? 赤緒」  出遅れている実感はあった。しかしいざ、こうして突きつけられるとやはりというべきか、言葉もない。  自分にこれから先のビジョンなんて、茫漠とした未来に描けていないのだ。  それを記憶喪失のせいにしたところで、逃げの方便だと罵られるのは目に見えている。 「……ジュリ先生は、どうして先生をやっているんですか?」  尋ねてこなかった。敵だと、そう断じられればまだよかったのだが、こうして誰もいない教室で、二人っきりの個人授業の場を整えられると、聞かないわけにはいかなかったのだ。  それが、たとえシバのような――この国のロストライフ化を目的とした、単なる手段だったとしても。  自分の対峙してきた八将陣のように、快楽的な破壊を目的としていたとしても。  それでも眼前の相手は自分と同じ、操主であり、そして女性であった。  ならば、どうしてこの道を取ったのか、それを聞くくらいの権利はあってもいいはず。  ジュリは黒板に文字を刻んだ。チョークの叩きつけるような音と共に地名が記される。 「この国を……あんたは知っている?」 「いえ。どういう国なんですか?」 「……もう存在しないわ。ロストライフ化したの」  その言葉だけで安易に聞いてはならぬことであったのだと、赤緒は直感する。だが、ジュリは背中を向けたまま続けた。 「元々、私の故郷でね。貧困に悩まされてきた国家であったにはあったんだけれど、人並みの幸せなんて小さなうちから摘み取られる、そういう制度が成り立っていた。軍事政権、ってのは……この島国じゃピンと来ないか。子供は七歳くらいには二つの道を迫られる。男は一生、奴隷のように働くか、銃を手に取って戦うか。女は身体を売るか、それとも男に混じって戦うか。私は……後者を取った。赤緒、銃の重さってどれくらいか、分かる?」  何度かモリビトに装備されている銃火器を見せてもらったことはある。トレースシステムで、人機越しに触れたことも。だが実際の重さは知るよしもない。弾丸が何をついばみ、そして何を生み出すのかも。  沈黙を是とすると、ジュリは手を払った。 「慣れちゃうと、重くも何ともないのよ。そう、自分の肉体を動かすのに、特別な感傷が要らないのと同じくらいに……。赤緒、想像したことある? 自分の肉体とイコールのようなものが、簡単に人の命を奪えちゃう現実ってのを。その延長線上にあるのが人機なんだって、私は思っているけれど、でも……そうじゃない連中だっている。人機は破壊兵器。他者と自分を分けるのに都合のいい、そういう存在。私はでも、恵まれたほうなんだって思っていたわ。男たちの中で出世もしたし、子供もいたもの」  子供――時折、脳裏を掠める二人の子供のビジョンをこの時、赤緒は自然と紡ぎ出していた。  あの二人は、自分ではない何者かの見守る景色でどう育ったのだろう。どう生きていたのだろう。  分からない。何もかも、想像の埒外だ。 「その子は……どうなったんです……」 「死んだわ。爆弾を括りつけられて、敵の陣営のど真ん中に飛び込んでね」  思わぬ告白に赤緒は息を呑む。ジュリは自嘲するかのように続けていた。 「その時あの子……笑っていたの。とても幸福なことだと、その国では教えられていたから。赤緒、人の常識なんてね、生まれ持った場所と国でとんでもなく違うの。この国じゃなきゃ、あんたの友達も漫画家は目指せないし、お花の稽古だってできないでしょう。あんたみたいなのがのらりくらりと生きていけるわけがないのも同じ。だから、ロストライフ化した時、不思議と思ったのが、これでもう、あの子のような不幸な子を、増やさなくって済むんだって言う、安心かな」 「安心……。でもそんなの、悲しいじゃないですか」  覚えず膝の上に握り締めた拳に涙の粒が落ちていた。ジュリの子供は安堵の中で死ねたのだろう。覚悟も何もないうちに殺されてしまうよりかは、随分とマシなのかもしれない。あるいはそういった境遇の考えすら持たないことが「普通」とされる――そういう場所。  ジュリは振り返ってフッと微笑んだ。 「……何であんたが泣くのよ。でもまぁ、あんたみたいなのが泣いてくれるだけ、あの子は幸福なのかもね。私は、涙なんてとうに枯れちゃった。ロストライフ現象に関してもそう。他の八将みたいに、衝動的でもなければ、まして義務感なんて。ただ、そうね……。故郷を焦土にした時、ちょっとだけ安心しちゃったの。不幸は減らせる。幸福なんてものより、もっと明確に。それこそ、人の数が減れば、それで選択肢は減っていく。幸福の選択肢は、多過ぎて選べないけれど、不幸に至る選択肢は、減れば自然と選び取るものをこちらで用意できる。私はね、そういうのが幸運だと思うのよ。だからキョムにいるし、こうして先生もやってる」  思わぬ形でジュリの口からキョム陣営にいる理由を聞かされ、赤緒はまごついていた。  自分はどっちつかずの半端者だ。ロストライフ現象は許せないし、八将陣だって敵だと思っている。  シバのように強くなければ生きている価値がないと断じるのは難しい。それにジュリのように、どこかで諦観のうちに選択肢を削り取る、なんて悲劇も。  繰り返したくない。繰り返させて――堪るか。 「……ジュリ先生。私、決めました。進路」 「おっ、どうするの? 大学進学? それとも柊神社で住み込み?」  赤緒は進路希望用紙の第一希望に太字のペンで殴り書きする。紙を提出すると、ジュリは怪訝そうにした。 「……何これ」 「私の進路です。私は……一つでも多くの幸福を、少しでも多くの人の可能性を守りたいっ! だから、操主になります! そして、キョムからみんなを守り通す! ……私にできることなんて、所詮は限りあることかもしれない。でもっ! その限りあることを全力でやるには……」 「正義の味方、ね……」  第一希望の文字をジュリは反芻する。笑われても構わない。それでも、間に合わせのような自分でも、誰かのために貫きたい意地がある。  ジュリは笑わなかった。  真面目に考えれば破り捨ててもいいはずの進路希望用紙を、大事にファイルへと保管する。 「じゃ、私は悪党だから、いずれあんたとは戦わなきゃいけないわけか。正義の味方、赤緒」  改めて言われるとむずがゆい。それでも、赤緒は瞳を逸らさなかった。 「はいっ……!」  ふふ、とジュリは微笑む。  その微笑みが敵でもなければ、馬鹿にしているでもない。心底、教職者として、嬉しいとでも言うような代物であったことに赤緒は呆然とした。  ――きっと、この人はこう言って欲しかったのじゃないだろうか。  その答えを一つ、得たかのようにジュリは教鞭を振るう。 「よし。まずは赤点回避ね。赤緒、徹底的に補習するわよ」 「えーっ……。それとこれとは別じゃ……」 「別じゃない。正義の味方だって教養がないと。あんたはお人好しの上に馬鹿がついているんだから、始末に終えないっての」 「そんなぁー……」  意気消沈した赤緒が机に突っ伏す。 「……でもそういうの、嫌いじゃないわよ」 「……えっ、何か言いました?」 「……言ってない。ぼやいただけ。さ! まずはゴロ合わせから覚える! いつかあんたも、誰かに勉強を教える日が来るかもしれないからね!」 「そんなの来ませんよぉ……。補習嫌だなぁ……」  うららかな春の陽射しが降り注ぐ教室には、まだ見ぬ未来に賭ける影二つ。  ――道は違えるかもしれなくとも、今は一つ。  答えに至る道は、未だに見えなくとも、模索することはできる。 「ホラ! 赤緒! ここさえ覚えれば赤点地獄は脱出できるんだから! まずは丸暗記しなさい!」 「勘弁してくださいよぉ……」  ジュリの声はいつになく浮かれていたように、この時思えた。

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