「精が出るものだ」  資料を手繰ったジュリへとかけられた言葉に、彼女は面を上げる。  戦士の威容を漂わせた巨漢が、眼前に佇んでいた。丸テーブルを挟んで彼はじっとこちらを見つめる。まるでその意思を探るかのように。 「……仕事よ」 「それでも、だ。黒将の依頼は人機の操縦技術を叩き込め――それに尽きるはず。だというのにお前が見ているのは……」 「これってそんなに可笑しい?」  テーブル上に広げていたのは世界史の資料本であった。軍部から借り受けた資料は現時点――西暦1988年の最新を行っている。  極東の国家である日本との国交の浅いベネズエラ軍に頼めば自分のような身分でも日本語の資料を手に入れる事が出来た。 「多少の色目は使ったのだろう」 「そりゃ、多少はね。でも、バルクス。あなたが一番」  ウインクすると岩石を思わせる大男は僅かに口元を綻ばせた。彼に冗談は通用しない。生粋の軍人であり、戦士であるバルクスは椅子を顎でしゃくった。 「座っても?」 「いいわよ。今、休憩にしようと思っていたところだし。コーヒーでいい?」 「何でも構わん」  どっしりと座り込んだ彼は人並みを超えている。その瞳に漂わせる悲哀、絶望、そして――闘志。  それも無理からぬ事なのだろう、とジュリは天井を仰いだ。  軍の所持する鋼鉄の要塞。極秘裏に、なおかつ自分達の存在を「確定」させるために必要な資財が揃っているこの場所は、まるで……。 「……鳥籠ね」  呟いたジュリはコーヒーの抽出機を作動させていた。バルクスは戦士の面持ちを崩さずに応じる。 「黒将の先導する八将陣計画。円滑の段階に入ったと聞いた。私達の乗るであろう、人機もな」  人機。その名を口にされるだけで自分達の役割は集約される。人機に乗り、戦う。それが八将陣であり、このベネズエラという国家を世界最大の先進国へと引き上げるという、建前の身上。  軍とどのような取引を黒将が行ったのか、それは分からない。ジュリを含め、八将陣は戦人だ。戦う事以外では何一つ期待されていない。  だからか、バルクスの質問にどこか気後れ気味になってしまったのもある。 「バルちゃんは、砂糖は抜きだったわよね」 「ああ。それとその呼び名はあまりしてくれるな。示しがつかん」 「いいじゃない。私達の仲なんだから」  抽出したコーヒーをバルクスへと差し出す。彼は黒々としたその液体をじっと凝視していた。  彼の見てきた血の数を自分は半数も知らない。彼の見てきた地獄の数も、自分はほとんど知らない。  彼に救われた身だ。ジュリからしてみれば、バルクスが世界そのものであり、その上に立つ黒将は世界を変革させる一振りの刃であった。  何度か、黒将と立ち会った事がある。  あれをどう形容すればいいのか。  羅刹、悪鬼、恩讐の徒――どれでも足りない。絶望を経験した冷たい瞳。そして全てを拒絶する黒い仮面。  あの男は世界を憎んでいる。壊してしまう事に何の躊躇いもない。その力を蓄えるためならばどのような手も使う。  だが、それは下賤ではない。最上の手を用いるための最短距離、それを彼は行っているのだ。  ゆえにこそ、地獄を見てきた者達はこうして集った。  一人はバルクス。彼は中東の戦地でいくつもの地獄を経験してきた。その末に、辿り着いた確固たる信念。強者の理論を地で行く堅物。  彼からしてみれば世界は強いか弱いかの二者択一。自分にとって彼が眩しく映るとすれば、それは強者の道を諭してくれたからだろう。 「熱っ……」  コーヒーに口をつけて舌を出す。この世の不条理も含めて飲み干した彼に、自分は遠く及ばない。だから、その隣に並び立ちたくなる。  その景色を見ていたくなってくる。 「……何だ? 先ほどから私の顔を見て」 「分かってるクセに。もうっ、バルちゃんってば」 「そう呼んでくれるな、と……」 「でも、人機に乗るのならこんなの要らないって、どこかで思っているんでしょ?」  資料本を示すと、彼は重々しく頭を振った。 「……世界で生き抜くのに必要なのは何も力だけではない。その方法論を、お前が自分で見つけたのならばいいのだろう」 「堅苦しいのはナシ! ね、キスしちゃおうか?」 「……私は戦士だ。そのような生ぬるさ」 「戦士だから、でしょ? 休息は誰にだって必要なんだから!」 「休息、か。そうかもしれんな。八将陣として戦い始めれば、世界との絶え間ない争いが待っている。それならば、今だけでも休めたほうが……」 「でしょ? だったら……」  唇を近づけかけて、不意に声が迸っていた。 「おい! バルクス! オレの《バーゴイルシザー》の調整はいつ終わるんだ!」 「……空気の読めない子」  舌打ち混じりにバルクスから顔を離すと、声の主である褐色の少年はケッと毒づく。 「ここは基地だぜ? 色気づいてるんじゃねぇ」 「カリス。機は与える、と黒将は言った。お前の潜在能力は買っているんだ」 「ンな事はいいからよ。戦わせろよ! それに、女だ。女を寄越せ! どうにも野郎ばかりでキまらねぇったらありゃしねぇ!」 「……機を待て、と言っている。血続の実力は黒将が一番に分かっているはず」  血続。結ばれたその名前に、カリスは哄笑を上げた。 「そりゃ、そうだろうがよ! 黒将だって目じゃねぇぜ! オレに、早く戦わせろ!」 「《バーゴイルシザー》の調整には時間がかかる。超電磁リバウンドの飛翔能力を持つ人機は分野としては不明な部分も多い。今は座して待て」 「それってのは、アレか? テメェの恋人とコーヒー囲んで生ぬるい会話を楽しめって事か!」 「……私も《O・ジャオーガ》の点検に戻ろう」  それでしかカリスを納得させる手段はないのだろう。せっかくの自分達の時間を邪魔された事にジュリは文句を垂れていた。 「……つい先日までのお子ちゃまが、粋らないでよね」 「うっせぇよ、ジュリ。テメェだって女だ。ヤられたくなけりゃ、ちょろちょろすんじゃねぇよ」 「あら? 心外ね。あなたが私に手を出す前に、その胸に穴が開いているわよ?」 「よせ、二人とも。黒将の命令を待たずしての開戦は許されない」  バルクスの仲裁に二人して舌打ちする。 「運がよかったな」 「どっちだが」  立ち去ったバルクスの背中を眺め、ジュリはテーブルに広げた世界史の資料を捲った。  まだ見ぬ極東の国家、日本。いつか、その場所に行ければ。 「行ければ……私は何に成れる?」  分からぬ事ばかりであった。 「コーヒーは大変、よろしい。もたらす香りで落ち着きますね、マージャ」  対面に沈黙する男は仮面の異形であった。彼はじっと差し出されたコーヒーに視線を落としている。 「もしかして、ブラックはお嫌いでしたか?」  ハマドは自分なりに気を利かせたのだが、と笑う。彼は片方の耳にイヤホンを差していた。それをマージャが指差す。 「ああ、これですか。あなたもお聞きになるといい」  マージャが受け取り、耳にはめ込む。漏れ聞こえたのは女の嬌声と断末魔であった。  ハマドがニヤリと笑う。 「やはり最高のティータイムには最高の悲鳴が似合います。私なりのリラックス法ですよ。あなたは……仮面の面持ちは読みにくいですが、それでも黒将から聞いた限りの情報でいいのならば……何にでも成れる、とか」  マージャはハマドを見据え、虚無の眼差しで声にする。 『……八将陣として戦う』 「ええ。そうでしょうとも。私も胸が高鳴る。今に、我が人機、《K・マ》が世界を恐怖に叩き落す。考えるだけで昂揚してきますよ」  しかし、とハマドは怪訝そうに眉をひそめた。 「やはり、ブラックはお嫌いで?」 『……私……はそういう風には……設計……されていない』 「聞き及んではいます。人造人間、その雛形、と。黒将も数寄者な方だ。人間を模すのならば女性に造ればいいのに」  いずれにせよ、この世界は絶望で黒く染まる。その時を、今か今かと待ち望むのに、ティータイムは前夜祭の様相を呈していた。 「刻みましょう。我々の力を」  小さく、ハマドはカップをマージャと乾杯させた。 「人をもてなすのに、茶菓子もない、か」 「ヤオ老師。貴様を戦力面では買っているが、余計な忠言は」  膨れ上がった殺気にヤオはふんと鼻を鳴らした。 「貴様に斬れるか? 黒将。このヤオを」  提げた刀に手を添えかけた黒い仮面の男は、瞬時に殺気を冷たい声音に変える。 「……二号機を倒し損ねた。アンヘルも、だ。それはいい。テーブルダストを占拠するのに、何も、時間は必要なかった。この一号機さえあれば」  仰ぎ見た先に佇んでいるのは白銀の巨兵であった。鋼鉄の武神、人の形を模した、この世で最強の人機。 《モリビト一号》は主の放つ禍々しい声に応じるかのように赤いアイサイトを煌かせる。 「ベネズエラ軍にアンヘルへの送り狼を出させた。連中も今に死に絶えるだろうに」 「それでも、だ。死に体の連中ほど、やりにくい事はこの上ない。最後の足掻き、というものもな」  ヤオはその尖った耳を掻き、静かに問いかけた。 「黒将。何を望む?」 「何を? 全てだ」 「全てとは、世界か」 「禅問答だな。仙人が板についたと見える」 「答えないのは引っ掛かりがあるからか? まだ……」  その言葉の赴く先を憎しみの体現者である黒将は先延ばしにした。 「……ダビングに躯体は用意させた。後はアルファーによる魂の置き換えだけでいい。それで我が宿願は成る」 「何のために女に造ったのか。ゆめゆめ忘れるなよ」  黒将は赤く光を放つその眼差しで、ヤオを睨んだ。 「貴様も、だ。怪しい真似をすれば斬る。それ以外に有用性などないのだからな。生き延びたければ、八将陣。その価値を見せろ」  話はそこまでだ、というように黒将は《モリビト一号》を仰ぐ。応じた鋼鉄の機体が手を差し出し主をコックピットへと導いた。  世界を引き裂く一撃を持つ、禁断の機体。両肩のウイングスラスターを開き、静かにその闘争は開始される。 「黒将は世界を恨む、か。……だがな、侮るなよ。世界は悪意だけで出来ておるわけではないのだから。――のう、現太」  ――時は僅かに巻き戻る。 「おい! ヒンシ! まじぃ飯出すんじゃねぇよ! こちとら前線に出てたんだぞ!」  怒声に川本はため息をついていた。 「それでもマシなほうなんだから文句言うなって。それに《モリビト2号》も修復中! 古代人機相手に善戦したって言っても、こっちだってジリ貧なんだ」 「うっせぇ! ……ったく」 「……まるでチンピラだよ。あれじゃ」  作業に戻ろうとしたその時、顔を出した現太に川本は会釈する。 「すまないね。いつもモリビトを万全にしてくれているのに」 「いえ、現太さん。親方に比べたら、自分に出来る事なんて限られてますから。あ、そういえば明後日には日本に発つんですよね?」 「ああ。久しぶりに故郷の地を踏めるな。だが、あまり長居は出来なさそうだ」  はは、と穏やかに笑う目の前の現太と先ほどの両兵が親子だとは、やはり思えない。どこかで血筋が間違ったのではないかと疑ってしまう。 「えっと……津崎さんの娘さんを……」 「同行願うように頼む、というのは……まぁ表向きだな。静花くんもどこまで本気なのだか知らないが……自分の母親が死んですぐに娘をこちらに引き取りたいというのは……」  濁した現太に川本は言いやる。 「でも、一人っきりなんでしょう? だったら、せめて家族がいたほうが……って言うのは、こっちの都合なんですかね」 「川本くんも、妹さんがいたね」 「ええ、手紙でしかやり取りできませんけれど……。それに日本はやっぱり遠いですし、親戚に預けてあるとは言っても心配で……」  現太は穏やかに笑って肩を叩く。 「守ってあげなさい。本当に大事な時、血筋だけは裏切らないはずだから」  立ち去ろうとする現太へと、川本は言いやっていた。 「あっ、そういえばモリビトで前線、お疲れ様です。缶コーヒーですが」  差し出した缶コーヒーを現太は受け取る。 「しばしの休息、か。そういうものも許されないのが、私らの身分なんだろうけれどね」 「ポイントから送られてくる古代人機の動きは最近、活発ですから。ちょっと油断出来ないですね……」 「モリビトもこれではな」  苦笑した現太の視線の先に、青いカラーリングの機体が格納庫に収まっていた。  整備の火花が散る中で、所々に亀裂の走った鋼鉄の巨人は穏やかな眼差しでこちらを見返す。 「次の戦闘までには血塊炉と直結出来るシステムを実装予定ですので。えっと……仕様書は……」 「おい! 川本! サボってんじゃないぞ!」 「やべっ、どやされる……。すいません! 現太さん! 仕様書は後で!」  走り去っていく川本に、現太はフッと笑みを浮かべていた。 「《モリビト2号》。お前は何を望んで……」  その緑のアイサイトに問いかけても、沈黙のみが返ってくる。まだ、この人機は赴く先が見えていないように思えた。 「おい、親父。日本行きの送迎がもうすぐ来る。用意しろとよ」 「そうか。両兵。お前、今日は素振り何回した?」 「あン? そんなの忘れちまったよ。心配しなくても親父なんてすぐ追い越すさ」 「そうか。そうなればいいんだがな」  一抹の不安を飲み込み、現太は缶コーヒーを飲み干す。苦味が口中に広がり、彼はこの先に待つ運命を見据えた。 「少なくとも、甘くはない、か」  運命の針は進み始めていた。

© 2018,2019 綱島志朗 公式サイト 合同会社TAK